日本プロスポーツ協会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/31 04:31 UTC 版)
創立者 | 中曽根康弘 |
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団体種類 | 公益財団法人 |
設立 | 1968年 |
所在地 | 東京都千代田区麹町1-3-23 麹町1丁目3番地ビル9階 |
法人番号 | 6010005006399 |
起源 | 日本プロスポーツ会議 |
主要人物 | 会長 麻生太郎 |
活動地域 | ![]() |
活動内容 | プロスポーツ団体の統括 |
ウェブサイト | www.jpsa.jp |
公益財団法人日本プロスポーツ協会(にっぽんプロスポーツきょうかい、Japan Professional Sports Association)とは、日本国内のプロスポーツ団体が加盟するスポーツ組織である。
歴史
1968年に設立されたプロスポーツ団体の連合体である権利能力なき社団だった日本プロスポーツ会議(初代議長は後の日本国首相・自民党総裁中曽根康弘)を前身とする。
1990年12月、文部省(中央省庁再編により2001年1月6日以降は文部科学省)により財団法人として認可され、初代会長に当時衆議院議長だった(中曽根と1947年衆院初当選同期で同じく1955年11月15日自民党立党大会参加し中曽根派の前会長でもある、中曽根の盟友中の盟友)櫻内義雄が就任。
各プロスポーツ団体を統括し、会長は(前身団体の初代議長・中曽根同様に)統一コミッショナー的な存在といえよう。
「日本のボクシング史」参照
日本の刑法・決闘罪は全6条からなり、決闘を申し込んだ人、申し込まれた人、決闘立会人、証人、付添人、決闘場所提供者など決闘に関わった者に適用される。もっとも、構成要件及び法定刑は主体ごとに定める。
- 決闘を挑んだ者・応じた者(1条) - 6ヶ月以上2年以下の有期懲役
- 決闘を行った者(2条) - 2年以上5年以下の有期懲役
- 決闘立会人・決闘の立会いを約束した者(4条1項) - 1ヶ月以上1年以下の有期懲役
- 事情を知って決闘場所を貸与・提供した者(4条2項) - 1ヶ月以上1年以下の有期懲役
決闘の結果、人を殺傷した場合は決闘の罪と刑法の殺人罪・傷害罪とを比較し、重い方で処罰される(3条)。
また、決闘に応じないという理由で人の名誉を傷つけた場合は、刑法の名誉毀損罪で処罰される(5条)。
この法律は現行の刑法が施行される前の法律であるため、本法の内容の把握には本法だけでなく刑法施行法(明治41年3月28日法律第29号)の内容も参照する必要がある。刑法施行法によれば本法で「重禁錮」とされているものは「有期懲役」に変更され、また罰金附加は廃止されている。
「決闘罪ニ関スル件」ないし「決闘罪に関する件」という呼称は、便宜的に与えられた「件名」である。したがっていずれかが正しいというものではなく、公文書(法令や判決など)で引用する場合には、片仮名を用いた文語体であれば前者の表記が、平仮名を用いた口語体では後者の表記が用いられる。
この法律内で使われている「決闘」の定義について明治40年(れ)第916号、明治40年10月14日大審院第二刑事部宣告では「当事者ノ人員如何ヲ問ハス兇器ノ対等ナルト否トヲ論セス合意ニ因リ身体生命ヲ傷害スヘキ暴行ヲ以テ相闘フ行為」(現代使用されている字体に改変)と定義付けしている。
また、昭和24年(れ)第1511号、昭和26年3月16日最高裁判所第二小法廷判決は「当事者間の合意により相互に身体又は生命を害すべき暴行をもつて争闘する行為を汎称するのであつて必ずしも殺人の意思をもつて争闘することを要するものではない。」としている。
しかし、ボクシングの試合・スパーリングを挑んでも、実際に対戦しても「スポーツや格闘技である以上」はソレが違法性阻却事由_(日本法)であり同罪は成立し得ない。また世間一般における慣例で「ボクサーの拳は凶器」と言われるが銃刀法や刑法の凶器準備集合罪には抵触し得ない。
2002年桜内が退任後の歴代会長
- 上記四名は、自民党以外の党籍を有した経験皆無な日本の国会議員経験者。
- 柳川と島村は、中曽根や桜内と同様に1999年3月中曽根派解散時点在籍の(中曽根が初代最高顧問務めた)志帥会旗揚げ参加のメンバー(柳川は国政選挙初出馬以前は官僚で文部省体育局長経験者で1986年第3次中曽根内閣沖縄開発政務次官、島村は中曽根の秘書経験し1995年村山内閣_(改造)で初入閣し文部大臣務めた)。
- 森は中曽根の群馬県第3区_(中選挙区)の対立候補・福田赳夫の側近で福田が創始者の清和研の幹部候補生だったが1983年第2次中曽根内閣で初入閣し文部大臣任命された。
- 自身もクレー射撃・モントリオールオリンピック日本代表選手や文部政務次官や自民党文教部会長だった麻生は中曽根没後に中曽根康弘世界平和研究所の会長務め、自身より7歳上の島村とは学習院大法学部政治学科18歳入学の先輩後輩で親交深く島村が日本会議国会議員懇談会初代会長退任に伴い後任を託される等、別の自民党の派閥(島村の亡父島村一郎が石橋派消滅に伴い移籍の宏池会に国政選初出馬時から属し、1998年暮れに集団離脱して大勇会旗揚げ)に属してきたが極めて関係が深い。
加盟団体
- 財団法人日本相撲協会
- 一般社団法人日本野球機構
- 公益社団法人日本プロゴルフ協会
- 一般社団法人日本女子プロゴルフ協会
- 公益社団法人日本プロサッカーリーグ
- 公益社団法人日本プロボウリング協会
- 一般社団法人日本ダンス議会
- 株式会社日本レースプロモーション
- (特殊法人)日本中央競馬会
- (地方共同法人)地方競馬全国協会
- 公益財団法人JKA(旧特殊法人日本自転車振興会・日本小型自動車振興会)
- 一般財団法人日本モーターボート競走会(旧社団法人全国モーターボート競走会連合会)
- (一般財団法人日本ボクシングコミッションオーナーライセンス保持者経営ボクシングジムで構成し現時点では権利能力なき社団の)日本プロボクシング協会
- 新日本キックボクシング協会
過去の加盟団体
- 新日本プロレスリング株式会社(2005年退会)
- 全日本プロ・レスリング株式会社(2002年退会、現:全日本プロレスリングシステムズ株式会社)
- 全日本女子プロレス興業株式会社(退会時期不明、現在は団体自体消滅)
- 日本キックボクシング協会(日本プロスポーツ会議時代、現在は団体自体消滅)、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(キックボクシング創始者野口修創設し藤本勲が運営する目黒ジム1996年脱退と同時に退会)
関連項目
- 日本の財団法人一覧
- 日本プロスポーツ大賞(内閣総理大臣杯、日本テニス協会及び公益社団法人日本プロテニス協会は未加盟だが沢松和子・伊達公子といったプロテニス選手に日本プロスポーツ大賞殊勲賞、錦織圭に大賞を授与した事はある)
参考文献
- 『プロスポーツ年鑑』(協会発行の年鑑)
- 1994年版 ISBN 4871681890
- 1995年版 ISBN 488553075X
- 1996年版 (ISBN番号未詳)
- 1997年版 ISBN 4925110004
- 1998年版 ISBN 4925110020
- 1999年版 ISBN 4925110039
- 2000年版 ISBN 4998092006
- 2001年版 ISBN 4990100905
- 2002年版 ISBN 4990100913
- 2003年版 ISBN 4990100921
- 2004年版 ISBN 499010093X
- 2005年版 ISBN 4990100948
- 2006年版 ISBN 4990100956
- 2007年版 ISBN 4990100964
- 2008年版 ISBN 4990100972
- 2009年版 ISBN 9784990100988
- 2010年版 ISBN 9784990100995
- 2011年版 ISBN 9784990574406
外部リンク
- 日本プロスポーツ協会のページへのリンク