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佐藤 直子

佐藤直子の画像 佐藤直子の画像
芸名佐藤 直子
芸名フリガナさとう なおこ
性別女性
生年月日1960/4/29
干支子年
出身地福島県
身長156 cm
URLhttps://iiis-hp.wixsite.com/iiis/%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9B%B4%E5%AD%90
プロフィール1960年4月29日生まれ福島県出身女優主な出演作は、WOWOWトッカイ』、舞台蜘蛛巣城』、邦画サイレント』など他多数。趣味・特技は、剣道
代表作品1年2021
代表作品1WOWOWトッカイ』(#6)
代表作品2年2023
代表作品2舞台蜘蛛巣城
代表作品3年2023
代表作品3邦画サイレント
職種俳優・女優タレント
資格・免許剣道初段
趣味・特技剣道

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佐藤直子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/12/20 00:57 UTC 版)

佐藤直子
Naoko Sato
基本情報
国籍 日本
出身地 東京都千代田区
生年月日 (1955-01-02) 1955年1月2日(70歳)
身長 163cm
体重 53kg
利き手
デビュー年 1973
生涯獲得賞金 55,987 アメリカ合衆国ドル
ツアー経歴・シングルス
自己最高ランキング WTA世界ランキング74位
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1977)
全仏 2回戦(1981)
ウィンブルドン ベスト16(1976)
全米 1回戦(1981)
ツアー経歴・ダブルス
自己最高ランキング バージニアスリムズ世界ランキング12位
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1978)
全仏 ベスト8(1984)
ウィンブルドン 2回戦(1982)
全米 1回戦(1982・83・85・88)

佐藤 直子(さとう なおこ、1955年1月2日 - )は、東京都千代田区出身の元女子プロテニス選手。元日本プロテニス協会理事長。東京国際大学特命教授・硬式テニス部監督。BS朝日放送番組審議会委員、日本スポーツ協会監事、日本スポーツ仲裁機構理事、公益財団法人日本テニス助成財団理事長。

2011年3月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。平田竹男教授のもとでトップスポーツビジネスを研究する。

主に1970年代後半から1980年代にかけて活躍した。主に全豪オープンで好成績を出し、1977年1月開催の大会でシングルスベスト8、1978年大会で女子ダブルス準優勝の記録を残した。

夫は、外交官の塩口哲朗

略歴

1955年1月2日、生まれたその日にテニスラケットを握る。永田町小学校(現在の千代田区立麹町小学校)在学中からテニスに親しみ、全日本テニス選手権の「15歳以下」の部門に12歳(学習院女子中等科1年)で優勝、学習院女子高等科3年の時に全日本室内選手権シングルス優勝。16歳から単身で海外遠征を始め、1973年からアメリカのヒューストン大学に留学する。ジュニア時代の戦績は、1973年全仏オープンジュニアシングルス3位(準決勝でミマ・ヤオソベックに敗退)、全英オープンジュニアシングルスベスト8(マルティナ・ナブラチロワに敗退)、オーストリアオープンジュニアシングルス優勝、カナディアンオープンジュニアシングルス優勝。1973年3月南アフリカで開催されたフェドカップに沢松和子、畠中君代と共にメンバーに選ばれるが出場はなし。その後、1976年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの日本代表選手として活躍、1980年までその位置にあった。1977年全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2回行われた。佐藤が女子シングルスのベスト8に入ったのは、年頭の1月開催の大会である。準々決勝でカレン・クランツケ(オーストラリア)に 3-6, 6-4, 0-6 で敗れた。12月開催の大会でも活躍し、2回戦でイボンヌ・グーラゴング・コーリーに 4-6, 0-6 で敗れている。

1978年全豪オープンは12月の年末開催であったが、佐藤はパム・ホワイトクロス(オーストラリア)とペアを組んだ女子ダブルスで決勝に進出した。しかし、その決勝戦ではベッツィ・ナゲルセンアメリカ)とレナータ・トマノワチェコスロバキア)組に 5-7, 2-6 で敗れた。

佐藤の他の4大大会自己最高成績は、全仏オープン1981年の2回戦進出、ウィンブルドン1976年の2回戦進出である。ウィンブルドンには、1973年から14年間に渡ってシングルス、ダブルス、ミックスダブルスのいずれかで本戦に出場し続けた。全米オープン1981年のみの出場で、1回戦敗退に終わった。

全日本テニス選手権での佐藤は、1976年1984年1986年1988年の4度女子ダブルス部門で優勝がある。全日本室内テニス選手権では、シングルスで4勝を挙げた。ジャパン・オープンでは、女子ダブルスで1976年1978年の2度優勝した。佐藤は競技経歴を長く続行し、1991年2月の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」予選1回戦でレネ・スタブスオーストラリア)に敗れるまでトーナメントに出場した。

1992年6月、第16回参議院議員通常選挙において、日本新党の比例代表名簿搭載予定者として発表されたが、党代表の細川護煕は公示日前日の7月7日に比例順位をようやく立候補者に伝えた。1位の細川に次いで2位に記載されたのは当時ニュースキャスターの小池百合子だった。9位に記載された佐藤は、比例順位が伝えられたその日に立候補を辞退した[1]

1993年3月、全日本室内ダブルスへの出場(パートナー、神尾米)を最後に引退。選手引退後の佐藤は、タレントコメンテーターとして活動した。

1996年第41回衆議院議員総選挙新進党公認で、東京都第16区から立候補するが日本プロスポーツ会議初代議長で新政同志会創立者中曽根康弘の元秘書の島村宜伸前文相に完敗し落選。1998年第18回参議院議員通常選挙には民主党公認で、比例区から立候補したが落選した。

2010年4月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コースに入学。平田竹男教授の研究室に所属して研究活動を行った。2011年3月に修了。同研究室の卒業生には桑田真澄江口晃生などがいる。

2011年4月に東京国際大学の招聘に応じ、同大特命教授・硬式テニス部監督に就任したことが発表された[2][3]日本スポーツ仲裁機構理事なども歴任[4]

2011年6月、日本プロテニス協会の理事長に就任。1972年の同協会設立以来、初の女性理事長となった[5]。ジュニア選手の育成などに携わり、最近では、後輩の女子プロ選手達により多くのチャンスを与えるために、日本で数少ないITF(世界テニス連盟)25,000ドルの国際大会(能登和倉国際女子オープンテニス)を開催している。

脚注

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