王貞治をめぐる逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:23 UTC 版)
少年時代の王貞治が後楽園球場での試合を観戦した際、王少年は観戦に来た大勢のファン達と同様に、巨人の選手達に向かってサインを希望した。周囲の少年達はサイン用の色紙や本格的な硬球を差し出しサインを希望したが、経済的に豊かとは言えなかった王少年は玩具のゴムボールを差し出し、そこにどうにかサインをもらおうと頑張っていた。だが選手達も忙しいこともあり、王少年は必死で差し出したものの、粗末で目立たないゴムボールなどは見向きもされなかった。その時、与那嶺だけが王少年のゴムボールに気付き、立ち止まって快くサインに応じた[要出典]。 後年、このエピソードの真偽を問われた与那嶺は、「何で日本の選手はサインをしてあげないのか、不思議に思いました。彼が王君だったかは分かりませんが、目の大きな子供が軟球を差し出していました。誰もサインをしてあげなかったので、僕がしたことは覚えています」と返答した。王は与那嶺が死去した際、「小学生の時に後楽園球場で初めてサインをいただいたのが与那嶺さん。プロ入りした時、野球の何たるかを教えてくれた恩人ともいえる方でした。温和な人柄でこんな形でお別れするのは残念でなりません」とコメントを寄せた。
※この「王貞治をめぐる逸話」の解説は、「与那嶺要」の解説の一部です。
「王貞治をめぐる逸話」を含む「与那嶺要」の記事については、「与那嶺要」の概要を参照ください。
- 王貞治をめぐる逸話のページへのリンク