猿啄城とは? わかりやすく解説

猿啄城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 09:51 UTC 版)

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猿啄城
岐阜県
猿啄城の展望台
別名 猿ばみ城、猿飛城、根尾山城、勝山城
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 西村善政
築城年 応永14年(1407年)頃?
主な城主 田原頼義・修理大夫頼吉・多治見修理・河尻秀隆
廃城年 1575年天正2年)
遺構 曲輪
指定文化財 坂祝町指定史跡
位置 北緯35度25分28.3秒 東経136度57分45.1秒 / 北緯35.424528度 東経136.962528度 / 35.424528; 136.962528
地図
猿啄城
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猿啄城(さるばみじょう)は、岐阜県加茂郡坂祝町勝山にあった室町戦国時代日本の城。別名・猿ばみ城猿飛城根尾山城勝山城。標高275.3メートルの勝山(城山)山頂付近にある。城跡は、坂祝町指定史跡に指定されている[1]

概要

猿啄城(城山)から望む木曽川日本ライン)と鳩吹山方面の山々

岐阜県愛知県の境の木曽川の北に位置する。この付近の木曽川(日本ライン)は急流であり、周辺は山となっている。このため飛騨国東濃から美濃国尾張国への重要な地点であった。標高265メートルの城山山頂には、展望台が設定されている。山頂までは徒歩30分ほどで登ることができ、自然の中の散策が楽しめる[2]

歴史

  • 築城時期は不明であるが、応永14年(1407年頃)、西村豊前守善政が築城する。
  • 1441年嘉吉元年)、西村豊前守善政が祖母の法要の為城を留守にした際に、田志見の城主・修理大夫頼吉が城を略奪する。
  • 1530年(享禄3年)田原左衛門尉頼義が城主となる。
  • 1539年(天文8年)城の鬼門寺として深萱村梅替地内に「大洞山 見城寺(現:覚専寺)」を建立する。
  • 1547年天文16年)、多治見修理が城を略奪する。
  • 1565年永禄8年)、織田信長丹羽長秀を総大将として東美濃攻略を開始。丹羽長秀の先鋒であった河尻秀隆が猿啄城を攻略し、落城。城主の多治見修理は斎藤氏に属する堂洞城岸信周の下へ落ち延びた(堂洞合戦)。河尻秀隆が猿啄城城主となり、城名を「勝山城」と改称する。
  • 1575年天正2年)、河尻秀隆が岩村城に移り、廃城

現在

現地情報

所在地

  • 岐阜県坂祝町勝山934-1

交通アクセス

脚注

  1. ^ 文化と歴史”. 坂祝町. 2025年7月3日閲覧。
  2. ^ 猿啄城跡・猿啄城展望台|岐阜県坂祝町公式ウェブサイト”. www.town.sakahogi.gifu.jp. 2024年4月15日閲覧。
  3. ^ 観光情報|岐阜県坂祝町公式ウェブサイト”. www.town.sakahogi.gifu.jp. 2024年4月15日閲覧。

関連項目





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