万見重元
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万見 重元(まんみ しげもと[3] / まみ しげもと[5])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。通称は仙千代(せんちよ)で、万見仙千代の名で知られる。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 谷口 1995, p. 410
- ^ a b c d e f 岡田 1999, p. 273
- ^ 谷口克広は上記の『法隆寺文書』における「まん仙千代重元」の署名から、万見を「まんみ」と読むのであろうとしている[1]。
- ^ 同時代の公卿中山孝親の日記。
- ^ 『法隆寺文書』では上記のごとく「まん仙千代重元」と署名するが、『孝親公記』[4]には「マミ仙千代」と記されている[2]。また『信長公記』のフリガナも「まみ」と打ってある。
- ^ a b c d e f 谷口 1995, p. 411
- ^ ただし、『信長公記』によれば、天正9年(1581年)9月8日に信長が知行を与えた者の中に「万見仙千代」がおり、これが太田牛一の誤記ではなく、子息であるとするのであれば、若年とはいえ子を成す程度の年齢ではあったと推測される[6]。
- ^ 岡田正人は自著で享年30としている[2]。
- ^ 山鹿素行「国立国会図書館デジタルコレクション 第十四続集」『武家事紀. 上巻』山鹿素行先生全集刊行会〈山鹿素行先生全集〉、1915年、507頁 。
- ^ 阿部 1990, p. 739.
- ^ 前者には天正4年説もある[1]。
- ^ 一説に、南部季賢をさす。
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