那須頼資
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那須 頼資(なす よりすけ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。那須氏4代当主。
- ^ a b 世界帝王事典 - 那須氏 より。
- ^ a b c d e f g h 「那須系図」(『群書系図部集 四』P.338)ほか。
- ^ 阿部能久「観音寺所蔵「那須継図次第」について」(所収:『日本中世政治文化論の射程』)。尚、この系図は元和5年(1619年)前後に書かれた、数ある那須氏系図の中では最古の物とされているもので、その後に作られた『寛政重修諸家譜』にもこれと同様の内容が掲載されている(同前論文(山本、2012年、P.65))。
- ^ 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』(新人物往来社、1990年)p.447 「那須助員」の項(執筆:並木優記)。尚、助員については那須資村の息子と考えられるものの、『吾妻鏡』に登場する程度で、系譜についての詳細は不明としている(同前)。
- ^ 「那須系図」(『群書系図部集 四』P.338)の頼資の付記に「従頼朝卿(被下 脱か、〔ママ〕)拝領御一字。有子八人。一男光資。」とある。
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