那須光資とは? わかりやすく解説

那須光資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/10 09:24 UTC 版)

 
那須光資
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 不明
別名 資光[1]、太郎
官位 肥前
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝
氏族 那須氏
父母 父:那須頼資
兄弟 光資、伊王野資長[2]、荏原朝資[2]
味岡広資[2]、稲沢資家[2]、河田資氏[2]
矢田治資[2]、小栗頼重室ほか
資村、光村、光晴

那須 光資(なす みつすけ)は、鎌倉時代武士御家人那須氏5代当主。

4代当主・那須頼資の子として誕生。

建久4年(1193年)、源頼朝から下野国内に領地を拝領し、さらに那須において巻狩を催した際、接待役を務め、鎌倉幕府御家人としての那須氏の地位向上に努めた。正治元年(1199年)には領内に天性寺を創建している。

なお、建久4年に催された那須巻狩の際に、那須与一梶原景時と諍いをおこし、出家遁世したという説があるが、『吾妻鏡』のその前後の時期の記述には「那須太郎光助」しか登場しない。

脚注

  1. ^ 『玉燭宝典』紙背文書所収 那須系図
  2. ^ a b c d e f 「那須系図」(『群書系図部集 四』)

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