肥下の戦い:趙との戦い(3)
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「秦の統一戦争」の記事における「肥下の戦い:趙との戦い(3)」の解説
詳細は「肥下の戦い」を参照 紀元前233年、桓齮は秦軍を率いて東の上党に進軍し、太行山を越えて趙の深部に侵入し趙軍を破り、赤麗と宜安(現在の河北省石家荘市藁城区の西南)を占領した。李牧率いる趙軍と秦軍は宜安付近で対峙した。激しい戦いの末に、秦軍は大敗した。桓齮の率いる秦軍のうち少数は包囲から脱し、秦国へ退却した。また『戦国策』によると桓齮は討ち死にしたとある。趙は秦に占領されていた土地を取り戻した。その功により李牧は武安君に封じられた。
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