肥前伊佐氏
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肥前国鹿島に土着した鎮西平氏流伊佐氏を肥前伊佐氏と呼ぶ。肥前伊佐氏は、桓武平氏繁盛流大掾氏族である常陸国伊佐郡を本貫とした多気氏の庶家で、伊佐為賢を祖とする。下向前の本貫地は常陸伊佐氏と同地である。 肥前伊佐氏一門においては、肥前国鹿島藤津荘(仁和寺領、現在の佐賀県鹿島市納富分2011 新義真言宗大本山誕生院)の総追補使伊佐平次(平治)兼元の子で藤津荘で生まれたのが後の根来寺覚鑁上人(1096年生)と伝わる。『歴代鎮西誌』によると、兼元は為賢の孫と伝わる。 この時代、薩摩の土豪と肥前伊佐氏との間で盛んに婚姻、養子や猶子縁組がなされていた。伊佐平次兼元と共に伊作良道も伊佐為賢の子孫の一族であるとする説があり、さらに兼元と良道が同一人物ではないかと言う説や、兼元の武功は、後の時代に為賢の武功(すなわち刀伊の入寇)と混同され伝わった(『今昔物語』等)のではないかと言う説もある。 肥前伊佐氏からは他に平経澄(伝肥前有馬氏祖)を輩出。
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