肥前国への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 14:46 UTC 版)
石井式部大輔越後守忠國の父は、下総国の武士・石井左京大夫忠家といい、合戦で討死したため、忠國は、親族の肥前国小城郡主・千葉胤紹を頼り、肥前国に移住した。胤紹は忠國を優遇し、大宰府安楽寺留守職・小鳥居信光の娘を正室に娶せて、副将に抜擢したという。さらに、千葉氏より肥前国佐嘉郡与賀郷飯盛村に領地を与えられ、永享元年(1429年)、その地に菩提寺・本善寺を建立した。忠國は、千葉胤紹の横死後は、その甥、幼君・千葉教胤に仕え、家老をつとめた。
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