海津城の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 16:05 UTC 版)
海津城は落城後、龍造寺氏の家臣横岳頼次が城主となった。 天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定後に立花宗茂が筑後柳川13万石を与えられて、立花家臣立花吉右衛門成家が城主となるが、10年後の慶長年間には廃城となった。海津城は、大正から昭和にかけての耕地整理により遺構は完全に失われ、田畑の中に石碑と案内板が建てられるのみとなっている。 1992年(平成4年)の発掘調査では掘立柱建物跡や堀などが見つかり、15世紀から16世紀にかけて営まれた平城跡と確認された。
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