海津大崎の桜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 10:10 UTC 版)
海津大崎付近の滋賀県道557号西浅井マキノ線沿線には、多くの桜が植えられており観桜の名所となっている。1990年(平成2年)3月には「日本さくら名所100選」に選定された。 桜並木は、1936年(昭和11年)6月に大崎トンネルが完成したのを記念して海津村(現・高島市マキノ町海津)が植樹したものである。満々と水をたたえる琵琶湖の青と東山連峰の緑の間を可憐なピンクの花びらが帯状に延びる景観は、奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩である。例年4月中旬には、延長約4kmにわたって約600本のソメイヨシノが咲き誇り、美しい花のトンネルを散策する多くの観光客でにぎわう。 この桜並木の誕生は、海津村による植樹に先立つこと5年前、当時滋賀県高島地方事務所に道路補修をする修路作業員として勤めていた宗戸清七(当時37歳、百瀬村(現・高島市マキノ地域)在住)が作業の合間に自費で購入した若木を植えたことに端を発する。宗戸は当時未舗装であった県道の改良や補修を日常業務としており、助手2人とリヤカーに土砂を積んで毎日巡回し、くぼみに土砂を埋めたり盛り上がっている場所を削って平らにするなどの作業に携わっていたが、重労働の疲れを癒してくれたのが、道から見える澄み切った琵琶湖と沖に浮かぶ竹生島の姿であった。愛着のある道に何か残したいと思った宗戸は、桜の並木があれば景色が華やかになると考え、自力で桜を植え始めた。 3年後に若木が花をつけはじめると村の青年団も協力しはじめ、宗戸の指示により団員がリヤカーで水や土を運び、若木がしっかりと根付くよう植樹を行ったことが、後の桜並木をつくる大きなきっかけとなった。その後も、地元の人々や観光関係者たちがこの桜並木を大切に育て、たび重なる豪雪や崖崩れによる被害のさいにも黙々と補植するなど守り続けた。海津大崎の桜も還暦を過ぎ、樹勢もかつてのような勢いはなくなってきたが、マキノ地域住民の誇りとも言うべき桜並木は大切に守り育てられ、後世に引き継がれようとしている。
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