豊臣秀吉の鉄甲船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 08:22 UTC 版)
信長の鉄甲船はいまだ謎に包まれているが、秀吉が文禄・慶長の役時に鉄の装甲を持った大型船を建造したことは『フロイス日本史』に文禄2年(1594年)のこととして明確に記述されている。 名護屋からジョアン・ロドゥリーゲスは一書簡を送付してきたが、彼はその中で次のように述べている。「関白はこのたびの朝鮮征服のために幾隻か非常に大きい船舶を建造させました。それらの舟は、すべて水面から上は鉄で覆われ、中央に船楼を有します。相互に通じる船橋は、いずれも鉄が被せられ、木(造部)は露出していません。そして全て甚だしく美しく塗金されています。それは大いに鑑賞に値するもので、私は時々それらの船に入ってみました。同署にありました船を測ってみましたところ、長さ十九畳ありました。数名のポルトガル人たちは、それらの船舶に入ってみて肝を潰していましたが、それらの船は弱体で、船骨に欠(陥)があったために、幾隻かは裂けて沈没してしまいました。」 鉄張りの船については『家忠日記』の文禄2年2月12日の項にも、「つくし大舟つゝミ候くろかね板あたり候、壹萬石ニ百五拾枚、」とある。
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