一色晴具とは? わかりやすく解説

一色晴具

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 21:18 UTC 版)

 
一色晴具
時代 室町時代 - 戦国時代
生誕 不明
死没 天文18年3月9日(1549年4月6日
改名 晴具→玉雲院/宗春(法名、『断家譜』)
別名 通称:七郎
官位 従五位下式部少輔
幕府 室町幕府奉公衆
主君 足利義政義尚義材義澄
氏族 一色氏(式部一色家)
父母 父:一色政具
兄弟 晴具、澄具
細川晴宣の娘[1]
藤長、秀勝、娘(足利義晴側室)
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一色 晴具(いっしき はるとも)は、室町時代から戦国時代にかけての武将室町幕府奉公衆式部一色家当主。

生涯

大永元年(1521年)10月10日付の幕府奉行人奉書写では一色式部少輔家領である美作国久世保を「一色鶴寿」に安堵し、5年後の大永6年12月16日付の幕府奉行人奉書写では同地を「一色七郎晴具」に安堵していることから、鶴寿は元服前の晴具の幼名で幼くして家督を継いだことが推定される[2]

室町幕府12代将軍足利義晴から偏諱を受け、晴具を名乗る。

天文2年(1533年)、従五位下に叙され、式部少輔となる。また、娘の1人が義晴の側室になっている[3]

義晴の子13代将軍・義輝より領地を賜る。

『厳助往年記』によれば、天文18年3月1日に喧嘩に巻き込まれて負傷し、それが元で同月9日に死去したという[2]

脚注

  1. ^ 両畠山系図」、塙保己一編『続群書類従 巻115-116』。
  2. ^ a b 木下、2017年、P223
  3. ^ 木下、2017年、P222

参考文献

  • 『寛永諸家系図伝 第二』 1980年6月 続群書類従完成会
  • 『断家譜 第一』 1968年6月 続群書類従完成会
  • 「続群書類従」
  • 木下昌規「足利義輝・義昭期における将軍御供衆一色藤長」戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 西国編』(岩田書院、2017年) ISBN 978-4-86602-013-6




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