足利義昭による任命例
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永禄11年(1568年)10月、15代将軍・足利義昭が自らの将軍職就任に功のあった織田信長に対して副将軍か管領職への就任を要請したという記録が残されている。管領職の任免権は将軍の専権事項だが、副将軍の任免権は朝廷が握っていたため、永禄12年(1569年)3月に朝廷も信長に対して副将軍就任の打診をしている。しかし、信長はこれを辞退したとされる。 義昭が信長によって京都を追放され、備後国の鞆にて毛利氏の庇護に入ると、義昭は毛利輝元を副将軍に任じ、鞆において幕府の再建を目指した。また、輝元は副将軍として義昭を庇護することにより、毛利軍を公儀の軍隊の中核として位置づけ、西国の諸大名の上位に君臨する正統性を確保した。 しかし、信長は明智光秀の謀叛に倒れるものの、天下は豊臣秀吉の手に移り、幕府の再興はならなかった。
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