京都への帰還と将軍辞任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 18:30 UTC 版)
10月、義昭は毛利氏の兵に護衛されながら、京都に帰還した。義昭にとっては、およそ15年ぶりの京都であった。 12月、義昭は大坂に赴き、秀吉に臣従した。このとき、秀吉から山城国槇島において、1万石の領地を認められた。 天正16年(1588年)1月13日、義昭は秀吉とともに参内し、将軍職を朝廷に返上した。このとき、秀吉の奏請によって、義昭は朝廷から准三宮の称号(待遇)を受けている。これにより、室町幕府は名実ともに滅亡した。 その後、義昭は出家し、昌山道休と号した。
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