京都アクセントの変遷
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「京阪式アクセント」の記事における「京都アクセントの変遷」の解説
平安時代後期の辞書『類聚名義抄』や、室町時代のアクセントを記した『補忘記』などによって、長く都であった京都のアクセントは平安時代からその変遷をたどることができる(右表。カッコ内は助詞。ただし、※を付けた類については、平安時代には助詞は高く発音される傾向が強かった。「降」は拍内の下降。平安末・鎌倉の動詞・形容詞は連体形のアクセント)。 平安時代の京都アクセントは、今よりも型の種類の多い複雑な体系を持っていた。例えば一拍名詞は、「高」型(一類)、「降」型(二類)、「低」型(三類)、「昇」型(四類)という4つの型があり、二拍名詞は、「高高」型(一類)、「高低」型(二類)、「低低」型(三類)、「低高」型(四類)、「低降」型(五類)のほか、ごく少数の語彙が所属する型として、「高降」型、「降低」型、「低昇」型、「昇高」型、「昇低」型があった(「昇」は拍内の上昇)。三拍名詞は「高高高」型(一類)、「高高低」型(二類)、「高低低」型(三類)、「低低低」型(四類)、「低低高」型(五類)、「低高高」型(六類)、「低高低」型(七類)のほか、ごく少数の語彙が「低低降」型や「昇低低」型だった。 このようなアクセント体系は、時代を下るごとに変化し、単純化していった。まず平安時代から鎌倉時代に入る間には、拍内上昇を持つ型がなくなり、一拍名詞では「昇」型が「高」型に合流し、二拍名詞では「高降」型と「昇高」型は「高高」型に、「昇低」型と「降低」型は「高低」型に、「低昇」型は「低高」型にそれぞれ合流した。この後、鎌倉時代から室町時代に入る間には、低い拍が語頭から二拍以上続く語に変化が起こり、アクセント体系が大きく変わった。すなわち、「低低」型(二拍名詞三類)が「高低」型になり、「低低低」型(三拍名詞四類)が「高高低」型に、「低低高」型(三拍名詞五類・三拍動詞二類)が「高低低」型に、「低低降」型(三拍形容詞二類)が「高低低」型になった。この結果、室町時代のアクセントでは一拍目が低ければ二拍目が必ず高くならなければならなくなった。現代でも高知市や田辺市ではこのような室町時代のアクセント体系を残している。 江戸時代の京都アクセントは、室町時代とあまり変わらないが、低起式の語の上がり目が後退している。すなわち室町時代に「低高高」型だったものが「低低高」型になり、「低高高高」型は「低低高高」型になっていた。このようなアクセント体系は、現代でも徳島県東南部や和歌山県旧龍神村に残っている。 さらに、幕末から明治にかけて、京阪を中心とする近畿中央部ではアクセントが大きく変容し、三拍形容詞一類が「高高低」型から「高低低」型になり、三拍動詞二類が、五段活用のものは「高低低」型から「高高高」型に、一段活用のものは「高低低」型から「低低高」型に変化した。同じ時期に京都では三拍名詞の二・四類も「高高低」型から「高低低」型になったが、大阪などでは「高高低」型を維持した。また、近畿大部分で「低低高高」型は「低低低高」型になった。
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京都アクセントの変遷
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「日本語の方言のアクセント」の記事における「京都アクセントの変遷」の解説
京都アクセントの変遷 語例名義抄式(平安後期)補忘記式(室町)現代1拍名詞第1類子・蚊高(高)〜高高(高) 第2類名・日降(低)〜高低(低)※ 第3類木・手低(高)〜低低(高) 2拍名詞第1類風・鳥高高(高) 第2類石・音高低(低)※ 第3類犬・山低低(高) 高低(低) 第4類糸・空低高(高) 低低(高) 第5類猿・雨低降(低)※ 3拍名詞第1類形・魚高高高(高) 第2類小豆・女高高低(低)※ 高低低(低) 第3類力・二十歳高低低(低)※ 第4類頭・男低低低(高) 高高低(低) 高低低(低) 第5類朝日・命低低高(高) 高低低(低) 第6類雀・兎低高高(高) 低低低(高) 第7類薬・兜低高低(低)※ 2拍動詞第1類行く・着る高高 第2類有る・見る低高 3拍動詞第1類上がる・明ける高高高 第2類動く・起きる低低高 高低低 高高高低低高 3拍形容詞第1類赤い・暗い高高降 高高低 高低低 第2類白い・高い低低降 高低低 日本語のアクセントの歴史については、京都のアクセントの記録が平安時代から残っており、今の京阪式アクセントになるまでにどのような変化をしてきたかが明らかになっている。代表的な資料に、平安時代後期の辞書『類聚名義抄』(るいじゅみょうぎしょう)や、室町時代のアクセントを記した『補忘記』(ぶもうき)がある。類聚名義抄では、文字の周囲に声点という、中国語の四声を表す点が付けられている。声点が文字の左上に付されていれば上声、左下に付されていれば平声、右上に付されていれば去声、左中位のやや下がった場所に付されていれば軽平声(東声)を表す。上声は高い音調、平声は低い音調、去声は上昇調、東声は下降調であったと推定されている。声点から明らかになった平安時代の京都アクセントは、現代よりも型の種類が多く、複雑なものだった。京都のアクセントは、南北朝時代に大きな変化をしており、それより前の時代のアクセントを名義抄式アクセント、それより後の室町時代のアクセントを補忘記式アクセントと呼ぶ。各類の、名義抄式アクセントから補忘記式アクセント、現代京都アクセントまでの変遷は表のようになっている(「降」は拍内下降、「昇」は拍内上昇。カッコ内は助詞。ただし※を打った類については、平安時代にはむしろ、助詞は高く発音されることが多かったと考えられる。平安時代の動詞・形容詞は連体形のアクセントを示す)。平安時代には、表に示したアクセントの他にも、ごく少数の語が持つアクセントとして、昇(「巣」など)、昇高(「蛇(へみ)」など)、昇低(「脛(はぎ)」など)があったが、鎌倉時代に入るまでに昇で始まる型は高で始まる型に変化した。 「中古日本語#アクセント」も参照 南北朝時代の変化では、以下の通り、語頭に「低」が2拍以上続く語に変化が起こり、最後の「低」だけを残してそれより前の「低」が「高」に変化した。 名義抄式から補忘記式への変化 低低→高低(2拍名詞第3類) 低低低→高高低(3拍名詞第4類) 低低高→高低低(3拍名詞第5類、2拍名詞第3類+1拍助詞、3拍動詞第2類) 低低降→高低低(3拍形容詞第2類) この変化により補忘記式では1拍目が低ければ2拍目は必ず高くなったが、その後の変化で上がり目が後退し、現代京都では低い拍が連続するようになっている。
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