葛西政信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/25 01:29 UTC 版)
葛西 政信(かさい まさのぶ)は、室町時代後期の大名。奥州葛西氏の第13代当主。名は信勝(のぶかつ)とも。従五位下、壱岐守、左京大夫。正室は千葉師胤の娘。子に晴重、女子(大崎持高後室)。
注釈
- ^ 尚信は宝徳3年(1451年)生まれ。『高野山五大院葛西系図』をはじめ多くの史料等では尚信は政信の甥(兄・朝信(とものぶ)の子、母は大崎持兼の娘)とされている。政信よりも年少であることや名前も第9代将軍足利義尚から偏諱の授与を受けたものとなっているので間違いはないだろう。ただし、阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P238では早世したのは満信ともある。
- ^ 阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P238では当時葛西氏は石巻城の宗清と分裂対立していた。反政信勢力と確執があったらしく不詳な点が多い。
引用元
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