後醍醐天皇に与する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:59 UTC 版)
その後、正成は得宗被官でありながら後醍醐天皇の倒幕計画に加担するようになった。後醍醐天皇と正成を仲介したのは真言密教僧文観と醍醐寺報恩院道祐とされる。ほか、伊賀兼光の関係も指摘されている。 元徳3年(1331年)2月、後醍醐天皇が道祐に与えた和泉若松荘を正成は所領として得た。しかし、同年4月に倒幕計画が幕府側に知られると、8月に後醍醐天皇は笠置山に逃げ、その地で挙兵した(元弘の乱)。なお、正成はこのとき笠置山に参向している。『増鏡』によると天皇側は前もって正成を頼りにしていたという。正成は得宗被官から一転したため、鎌倉幕府からは「悪党楠兵衛尉」として追及を受けた。同年9月、六波羅探題は正成の所領和泉国若松荘を「悪党楠木兵衛尉跡」として没収した。
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