後醍醐天皇の帰依を受けるとは? わかりやすく解説

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後醍醐天皇の帰依を受ける

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:59 UTC 版)

文観」の記事における「後醍醐天皇の帰依を受ける」の解説

元亨3年1323年)、後醍醐天皇勅命発し文観宮廷参内させた(『瑜伽伝灯鈔』)。師の道順後醍醐父の後宇多崇敬された僧であることを考えれば、その高弟である文観帰依受けたのは、自然な流れである。 元亨4年1324年3月7日大和国にある真言律宗般若寺奈良県奈良市)の旧経蔵本尊として、『木造文殊菩薩騎獅像本堂安置)』(重要文化財)の制作監修した。大施主出資者寄付者)は、鎌倉幕府高級官僚である伊賀兼光文観布施を受ける側であるから、既に天皇から帰依されるのほど真言であったにも関わらず真言律僧としての地位もあり、般若寺住んでいたとみられる。この般若寺は、かつて開祖叡尊長老だったころ、後に次期長老となる信空住職となっていたこともあるほど、真言律宗最重要拠点一つだった。 菩薩像の実制作当たったのは興福寺大仏師康俊小仏師の康成。仏教美術研究者内田啓一は、鎌倉時代文殊像の典型的な様式守りつつも、小鼻大きさや厚い唇などの一味加えられており、小気味良く仕上げられている、と高く評価している。 墨書にはまず「法界衆生発菩提心」とあり、全世界あらゆる人が菩提心悟り求め他人救おうとする心)を発することを第一に願った作品である。その一方で、「金輪聖主御願成就」ともあり、金輪聖主つまり天皇である後醍醐治世繁栄第二の意として願っている。開祖叡尊にも「聖朝安穏」を掲げたものが多いから、真言律宗典型的作品と言える元亨4年1324年6月25日真言宗の有力庇護者だった後宇多上皇崩御続いて同年9月19日から正中2年1325年2月9日にかけて、後醍醐天皇討幕計画疑われ鎌倉幕府から取り調べ受けた(『花園天皇宸記』)。しかし、鎌倉幕府調査結果冤罪であると公式に判定下ったいわゆる正中の変)。

※この「後醍醐天皇の帰依を受ける」の解説は、「文観」の解説の一部です。
「後醍醐天皇の帰依を受ける」を含む「文観」の記事については、「文観」の概要を参照ください。

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