面山瑞方とは? わかりやすく解説

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めんざん‐ずいほう〔‐ズイハウ〕【面山瑞方】

読み方:めんざんずいほう

[1683〜1769]江戸中期曹洞宗の僧。肥後の人。卍山道白(まんざんどうはく)・損翁宗益らに師事曹洞宗中興称される。著「正法眼蔵渉典録」など。


面山瑞方


面山瑞方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/12 08:20 UTC 版)

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面山 瑞方(めんざん ずいほう、1683年12月22日天和3年11月5日)- 1769年10月16日明和6年9月17日))は、江戸時代中期のである。曹洞宗。本姓は今村。

経歴・人物

肥後の生まれ。15歳(16歳とも)で母と死別したことにより、出家する。後に江戸に出て卍山道白及び梅峰竺信の門人となった。

後に陸奥仙台に出て、損翁宗益と共に曹洞宗の興隆に携わり、黄檗宗の卍山と共に曹洞の中興を成し遂げた。1705年宝永2年)に相模の老梅庵の住職となり、以後生まれ故郷の肥後の禅定寺や清潭寺、豊後の醍醐寺、若狭空印寺等の住職を歴任した。また、晩年には関東畿内を行脚し、「建康普説」といった新しい仏法を生み出し、多くの著書を残した。

1741年寛保元年)より若狭の永福庵に建立し、居住した後に上洛して1769年(明和6年)に建仁寺にて入滅した。入滅後も庶民から「婆々面山」と呼ばれ、今日も伝えられるようになった。

主な著作物

主著

  • 『正法眼蔵渉典録』- 全10巻。
  • 『広録』- 全26巻。

その他の著書

  • 『紀行』
  • 『聞解』
  • 『訂補建撕記』
  • 『戒法』

出典



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