東西直通運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:57 UTC 版)
「名岐鉄道デボ800形電車」の記事における「東西直通運転」の解説
前述の通り、西部線は従来柳橋を拠点駅としたが、これを神宮前を拠点駅とする愛知電気鉄道由来の「東部線」と接続する「東西連絡線」建設計画が現・名鉄発足当時より存在した。 計画は西部線の枇杷島橋付近より分岐して国鉄名古屋駅の地下に新ターミナル駅(新名古屋駅)を設置、新名古屋以南は東海道本線に沿って線路を敷設して東部線の神宮前に至る、延長9.1 kmの路線を新規に建設するものであった。このうち、枇杷島橋 - 新名古屋(現・名鉄名古屋)間3.3 kmを第一期工事区間として1937年(昭和12年)7月に着工、1941年(昭和16年)8月12日に枇杷島橋 - 東枇杷島信号所 - 新名古屋間の通称「笹島線」が開通した。これにより、本系列はターミナル駅へ直接入線することが可能となった。 残る新名古屋 - 神宮前間5.8 kmの第二期工事区間は1942年(昭和17年)8月に着工、1944年(昭和19年)9月1日に開通し、東西両路線が接続された。ただし、懸案であった西部線の架線電圧を従来の直流600 Vから東部線幹線区間と同一の直流1,500 Vに昇圧する工事は、太平洋戦争激化による資材不足のため完成の見通しが立たなかった。そのため、開通当初の運行系統は金山橋(現・金山)を境界駅として東西に二分され、第二期工事区間のうち西部線側の新名古屋 - 金山橋間については折り返し運転による連絡輸送が行われた。 本系列は前述の通り、設計段階より架線電圧1,500 V昇圧を考慮していたことから、西部線の昇圧工事完成に先立つ1943年(昭和18年)より昇圧対応改造が開始され、うちモ809・モ810の2両が同年4月に東部線へ転属し、運用を開始した。終戦後の1948年(昭和23年)1月には、モ801・モ802が前記2両と入れ替わる形で東部線へ転属し運用された。 西部線の幹線区間(名岐線・犬山線・津島線・一宮線)の架線電圧昇圧工事は、太平洋戦争終戦後の1948年(昭和23年)5月12日に完成した。同年5月16日より金山橋を境界駅とする運行系統分断が解消、名岐線と東部線の幹線路線である豊橋線は運行系統が一本化されて「名古屋本線」となり、豊橋 - 新名古屋 - 新岐阜間の東西直通運転が開始された。 本系列全車も昇圧当日までに昇圧対応工事を施工し、直通運用に充当された。ただし、この昇圧工事は極めて準備期間の短い突貫工事であったことから、当初は車両故障や地上設備の故障などトラブルが続出した。本系列においても、モ801が堀田駅にて昇圧対応工事を施工した電動空気圧縮機 (CP) の故障に起因する車両火災を起こし、車体を全焼した。モ801は同年内に焼損した構体を再利用して応急的に修復され、後に鳴海工場にて外板の張替えなど本格的な修復工事が施工された。
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