東西直通運転開始前後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 00:07 UTC 版)
「名鉄3800系電車」の記事における「東西直通運転開始前後」の解説
前述のとおり、本系列は西部線の架線電圧1,500 V化・東西直通運転開始に際して導入された。しかし、当時の日本車輌製造における製造スケジュールの都合から、1948年5月12日の昇圧当日までに竣工した編成は3801 - 3805編成の計5編成10両に留まった。その5編成も、5月10日に3802編成が、残る4編成が昇圧前日の5月11日にようやく竣工するという状況で、3802編成を除く4編成は本線上における公式試運転を行う余裕もないまま、翌12日の昇圧工事完成と同時に営業運転に就役することとなった。 そのような余裕のない導入スケジュールに起因して、本系列は運用開始初日より初期故障が発生し全編成とも運用を離脱する事態となった。さらに、昇圧当日は変電所の故障や昇圧改造車両の床下機器からの発火などが相次いだため西部線は終日にわたって運行ダイヤが麻痺状態となり、翌日発行の地元紙などにおいて「罪作りな昇圧」と酷評されるに至った。 後日本系列は故障箇所を修復して運用に復帰した。当時の名鉄の在籍車両は、戦中から終戦直後にかけて酷使された整備不良車が多数を占める中、窓ガラスを完備するなど車内外とも整備された新型車両の本系列は現場・乗客の双方から歓迎されたという。また、5月16日の東西直通運転開始に先立って、前日の5月15日に新岐阜(現・名鉄岐阜) - 豊橋間にて運行された東西直通特急の公式試運転に際しては、本系列がモ3805-モ3804-ク2804の3両編成を組成して充当され、同区間を約2時間で走破した。 その後、1948年7月から同年12月にかけて3806 - 3820編成が、翌1949年9月に3821 - 3825編成が、同年12月に3826 - 3835編成がそれぞれ竣工し、営業運転に就役した。1949年度導入分については、車体寸法の都合から運用上の制約が大きかった3700系(初代、国鉄モハ63形割当車)10編成20両の代替を兼ね、15編成30両の大量増備となった。のち1954年3月に竣工したク2836を加えて計71両が導入された本系列は、1950年代の名鉄における代表形式として戦後復興期の輸送力増強に貢献し、特急運用から普通列車運用まで幅広く充当された。
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