1949年度
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3年生の修学旅行は、47年は諏訪へ、48年は直江津・糸魚川方面に行われた。大糸線が全通していなかったので、その部分は徒歩でつないだ。49年からは、奈良・京都方面で行われることとなった。初期には9月に実施されたが、1952年以降は4月(52年と53年は5月)に実施されるようになった。この年、5月下旬に回虫を主にした寄生虫駆除薬を生徒が服用し、さらに11月下旬にも同じ寄生虫駆除薬を服用した上、1月下旬には検便を行っている。その結果、5月下旬に「沖縄産海人草煎汁」を512名が服用し、381名が排虫を確認している。この確認は生徒本人が行ったもので、1人最多排虫数は14匹だった。さらに、11月下旬にも同じ薬を500名が服用し、190名が排虫を確認したが、この確認は暗い朝に自分で行ったものなので漏れが大いにあったはずである。1月下旬の検便では459名が検査を受け、寄生率80%だった。4月1日入学式。4月9日全校作業、兎山の土石運び。4月29日黒川でカラマツを植林。7月13日2年生が大滝山登山。7月26日1年生乗鞍登山。9月26日3年生関西修学旅行。10月18日小中合同運動会。11月19日収穫祭。生徒数539名、学級数12、職員数22名。
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