東西福助の一本化、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 18:59 UTC 版)
「中村福助」の記事における「東西福助の一本化、その後」の解説
しかし昭和44年 (1969)、高砂屋五代目福助が死去すると、高砂屋では家系が絶える。ここで遺族はあえて高弟を養子に取ったりなどはせずに、そろそろ潮時と「中村福助」の名跡をこの際成駒屋に返上することを申し出た。 これをうけて六代目中村歌右衛門は、成駒屋八代目福助を襲名した養長子を平成4(1992)年に高砂屋の四代目中村梅玉とした。ここに100年以上にわたって分裂していた「中村福助」の名跡は統合され、「中村梅玉」の名跡も屋号こそ違うものの事実上成駒屋の傘下に組み込まれることになったのである。また、これと同時に先述の五代目児太郎が九代目福助を襲名し、以降福助の名は七代目福助の長男家系(九代目福助の家系)にのみストレートに継承されていく算段が整った。 前述したように七代目芝翫と六代目歌右衛門は年がそう離れておらず、六代目歌右衛門の没時、七代目芝翫は既に芝翫として名声を得ており、また今更歌右衛門を襲名する年齢になかった。七代目芝翫は六代目没後、歌右衛門襲名を松竹から打診されるも、それを断ったため襲名せず、長男の九代目福助が直接歌右衛門を襲名する予定である。さて、七代目芝翫没後空名跡となった芝翫は、七代目の次男が八代目として襲名した。梅玉と合わせて、ここに福助の後に襲名する名は完全に分離される形となった。 十代目福助は九代目の長男・六代目兒太郎(児太郎)が直接継承することが2013年に公表されているが、同時に七代目歌右衛門を襲名する予定である九代目福助が病に倒れたため、2021年現在襲名は棚上げ状態にある。一方、四代目梅玉の後継者として、2019年8月に梅玉の部屋子の中村梅丸が、同年11月に中村莟玉(かんぎょく)に改名、養子になることが発表された。
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