複電圧車への改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 19:31 UTC 版)
「名鉄モ3350形電車 (初代)」の記事における「複電圧車への改造」の解説
1948年(昭和23年)5月12日に西部線に属する主要路線の架線電圧1,500 V昇圧工事が完成し、同年5月16日より金山橋(現・金山)を境とした運行系統分断を解消して東西直通運転を開始、従来「豊橋線」「名岐線」と呼称されていた東部線・西部線の幹線は「名古屋本線」に統合された。ただし、この時点で昇圧された旧西部線に属する路線区は名岐線のほか犬山線・津島線・尾西線のみであり、また旧東部線に属する支線区についても西尾線・蒲郡線など一部路線区は昇圧対象に含まれず、従前の架線電圧600 V仕様で存置された。 戦後の混乱期を脱しつつあった1950年(昭和25年)頃より、架線電圧600 V仕様の支線区のうち、沿線に観光地を有する広見線・八百津線・西尾線・蒲郡線の各路線区について、名古屋本線など幹線系統からの直通特急列車を運行する計画が浮上した。この際、当時名鉄が保有した一般列車用車両のうち、一部が撤去されていたものの優等列車運用に適する転換クロスシート仕様車であった本系列が、直通特急列車用車両に選定された。 直通特急列車用車両への格上げに際しては、モ3650形2両を除く8両がその対象となり、モ3600形全車は電圧転換装置を新設して直流600 V電化区間および同1,500 V電化区間の両方を走行可能な複電圧車両へ改造された。また、モ3600形・ク2600形全車について客用扉間の座席を全て転換クロスシート仕様に改装し、車内放送装置が新設された。車体塗装についても、戦後ダークグリーン1色塗装に改められていたものを、3850系への採用を機に当時の名鉄の優等列車用車両における標準塗装とされていた下半分マルーン・上半分ピンクの2色塗装に変更された。 またこの改造に際して、従来固定されていなかったモ3600形とク2600形の編成は末尾同番号の車両による固定編成となり、モ3600形は全車とも豊橋側妻面(非パンタグラフ側)の運転台を撤去して片運転台構造に改められた。モ3601・モ3602・モ3604は運転台機器を撤去したのみで乗務員扉および車内運転台仕切り壁は存置されたが、モ3603はそれらを含めて運転台を完全撤去して客室化し、乗務員扉跡には他の側窓と同一形状の窓を新設したため、同車はモ3650形との外観・仕様上の差異が消滅した。 1955年(昭和30年)に3601編成(モ3601-ク2601)・3602編成(モ3602-ク2602)が竣功、沿線には同年に国定公園に指定された三河湾や西浦温泉などの観光地を有し、最も直通列車運行の要望が高かった西尾線・蒲郡線と名古屋本線を直通する特急列車運用に充当された。翌1956年(昭和31年)には3603編成(モ3603-ク2603)・3604編成(モ3604-ク2604)がそれぞれ竣功し、同じく支線区直通特急運用に充当された。 一方、モ3650形3651・3652は対応する制御車が存在しないため常時他形式と混用されたが、1957年(昭和32年)より3500系モ3500形を電装解除・制御車化したク2650形2651・2652と末尾同番号の車両による固定編成を組成した。ク2650形は3500系に属する車両形式であるため、モ3650形と比較すると車内座席がロングシート仕様である点や、外観上窓上部にも補強帯(ウィンドウヘッダー)が設置されていることなど、細部の仕様には相違点が存在した。
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