複電圧化・鋼体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:07 UTC 版)
「小田原電気鉄道チキ1形電車」の記事における「複電圧化・鋼体化」の解説
1950年から鉄道線に小田急電鉄(小田急)が乗り入れることが決定し、鉄道線の小田原駅から箱根湯本駅までの区間については架線電圧も600Vから1,500Vに昇圧されることになった。これに対応し、鉄道線の車両については600Vと1,500Vの両方に対応した「複電圧仕様」に改造されることになり、チキ1形については同時にチキ2形・チキ3形と同一仕様の鋼製車体に更新された。ただし、新造当初から鋼製車体だったチキ2形・チキ3形ではリベット固定だったのに対し、この時に製造された車体は全溶接構造であった。 車体更新は1950年9月までに行われたが、あわせて制御装置も間接制御装置に置き換えられ、車両番号は元の番号に100を加算した番号に変更された。車体の製造を担当したのは、チキ101号とチキ102号が東京芝浦電気(東芝)、他の4両は汽車製造であるが、東芝が電車の車体を製造した事例はチキ1形の2両以外には東濃鉄道モハ100形電車の2両しかなく、希少な事例である。また、制御装置については全て東芝製となったほか、連結器も全車両で密着連結器に交換された。車体色についても、窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインとした。 1952年には形式称号の変更が行われ、チキ1形はモハ1形に変更された。その後、1957年に小田急で特急車両の3000形SE車が登場すると、車体色も窓周りをグレーとし、窓の上下の帯(ウインドシル・ヘッダー)を白色、それ以外の部分についてはオレンジバーミリオンと、SE車と同様の塗装デザインに変更された。当初は屋根の前縁やヘッドライトもオレンジで、正面下部は曲線的に塗り分けられていたが、しばらくすると屋根周りとヘッドライトについてはオレンジに塗られなくなり、正面デザインも直線的なデザインとなった。なお、これ以降、箱根登山鉄道の鉄道線ではサン・モリッツ号(2000系)の登場時まで、歴代の小田急ロマンスカーと同じ車体塗装が用いられた。 1955年から1961年にかけて、製造時以来装備していたブリル製台車の交換が行われ、モハ101号では日本車輌製造のNA-7A形台車に、モハ106号とモハ107号は日本車輌製造のNA-7形台車へ、それ以外の3両については東急車輛製造製のTS-110形台車に交換された。同時に非常用ブレーキ装置も電磁吸着ブレーキからレール圧着ブレーキに変更された。また、この時期にモハ101号と102号については出入口扉の間をクロスシート(ボックスシート)に変更した。 1980年には電動発電機の設置が行われ、1983年にはパンタグラフが下枠交差形へ変更された。なお、主電動機については、GE240-A-Sと同規格の主電動機であるSE-121-Aが混用されるようになった上、コイルの巻き替えや磨耗部品の交換により、1992年ごろにはGE製のオリジナル部品は主電動機の外枠程度しか残存していない状況となり、GEの製造銘板がついた部品はなくなった。 1990年4月から同年9月にかけて、箱根登山鉄道では「花のフェスティバル90」というキャンペーンを展開したが、これに合わせてモハ101号が上半分を「サン・モリッツ号」と同じ赤色とし、下半分には箱根の観光名所や花を描いた塗装に変更され、同時に同じデザインに変更されたモハ2形110号と2両編成を組んで限定運用に入った。
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複電圧化・鋼体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 21:04 UTC 版)
「小田原電気鉄道チキ2形電車」の記事における「複電圧化・鋼体化」の解説
1950年から鉄道線に小田急電鉄(小田急)が乗り入れることが決定し、鉄道線の小田原駅から箱根湯本駅までの区間については架線電圧も600Vから1,500Vに昇圧されることになった。これに対応し、鉄道線の車両については600Vと1,500Vの両方に対応した「複電圧仕様」に改造されることになった。チキ2形・チキテ2形については、まず1950年7月にチキテ9号について複電圧化が行われ、その後1953年9月にはモハ2形の残りの車輌が複電圧化、さらに1954年1月にはモハ3形の全車両が複電圧化改造された。なお、形式称号で「チキ(テ)」と「モハ」が混在しているのは、1952年には形式称号の変更が行われ、チキ2形はモハ2形に、チキテ2形はモハニ2形に、チキ3形はモハ3形に変更されたためである。形式称号の変更と同時に、チキ8号・チキテ9号・チキ10号については車両番号がモハ108号・モハニ109号・モハ110号に改番されている。車体色についても、窓回りを黄色とし、それ以外の部分を水色とする塗装デザインとした。また、スイス製の主電動機については、モハ1形(チキ1形を称号変更)との連結運用を行う関係で、チキ1形と同出力へ更新が行われている。 1955年からは、木造車体で製造された車両については、1935年に増備した車両と同一仕様の鋼製車体に更新することになり、1955年6月にモハニ109号が車体更新の上モハ109号に変更され、1956年6月にはモハ108号が、1957年12月にはモハ110号が鋼製車体となった。この3両については、車体更新時に出入口扉の間はクロスシートとされたため、それまでの車両と異なり扉の間には6つの窓が並ぶ仕様となった。また、新造当初から鋼製車体だったチキ2形・チキ3形では車体外板がリベットによる固定だったのに対し、この時に製造された車体は全溶接構造であった。車体の製造を担当したのは、モハ108号とモハ109号が東急車輛製造、モハ110号は東洋工機である。 その後、1957年に小田急で特急車両の3000形SE車が登場すると、車体色も窓周りをグレーとし、窓の上下の帯(ウインドシル・ヘッダー)を白色、それ以外の部分についてはオレンジバーミリオンと、SE車と同様の塗装デザインに変更された。当初は屋根の前縁やヘッドライトもオレンジで、正面下部は曲線的に塗り分けられていたが、しばらくすると屋根周りとヘッドライトについてはオレンジに塗られなくなり、正面デザインも直線的なデザインとなった。なお、これ以降、箱根登山鉄道の鉄道線ではサン・モリッツ号(2000系)の登場時まで、歴代の小田急ロマンスカーと同じ車体塗装が用いられた。 1975年にはモハ114号の台車が東急車輛製造のTA-110A形に交換され、それまで装備していた川崎車両製の板台枠台車はモニ1形に流用された。1980年には電動発電機の設置が行われ、1983年にはパンタグラフが下枠交差形へ変更された。
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