落成から太平洋戦争前後にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/03 09:51 UTC 版)
「知多鉄道デハ910形電車」の記事における「落成から太平洋戦争前後にかけて」の解説
パンタグラフ1基が撤去されたモ910形912(旧知多デハ910形912) 知多鉄道線の開通と同時に運用を開始した本形式は、線内運用のほか知多鉄道線内から愛電の神宮前へ直通運転を行う特急・急行運用に充当された。1940年(昭和15年)9月当時のダイヤにおいては、1時間間隔で運行される急行は神宮前 - 知多半田間を30分で、1日1往復のみ運行される特急は同区間を27分で結び、車両の快適性と速達性の両面で武豊線を上回った知多鉄道線は、半田地区における主たる公共交通手段として定着した。 1935年(昭和10年)8月に知多鉄道の親会社であった愛知電気鉄道(愛電)は名岐鉄道と対等合併し、現・名古屋鉄道(名鉄)が発足した。それに伴って従来愛電の傘下事業者であった知多鉄道も名鉄の傘下事業者となった。その後1941年(昭和16年)1月17日付届出にて、本形式の車両記号を愛電の流儀に則った「デハ」から名鉄の流儀に則った「モ」へ変更し、同時に車両番号のゼロ起番を廃止する改番が実施された。本形式は形式称号がモ910形と改められ、旧デハ910をモ915と改番、車両番号はモ911 - モ918(モ914・モ915・モ917は初代)に再編された。 その後、太平洋戦争の激化に伴う戦時体制への移行により、陸上交通事業調整法を背景とした地域交通統合の時流に沿う形で、1943年(昭和18年)2月に知多鉄道は名鉄へ吸収合併された。本形式は合併に際して原形式・原記号番号のまま全車とも名鉄へ継承され、名鉄への継承後は車体塗装のダークグリーン1色塗り化、戦時体制下における輸送量増加を受けて混雑緩和を目的とした車内座席のオールロングシート化のほか、2基搭載されたパンタグラフのうち1基を撤去する改造が全車を対象に施工された。
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