計画から竣工まで
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「御蔵 (海防艦)」の記事における「計画から竣工まで」の解説
マル急計画の海防艦甲、第310号艦型の11番艦、仮称艦名第320号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙の基本計画が決定し仮称艦名第322号艦がその第1艦となる予定だったが、建造予定を繰り上げて本艦が海防艦乙の第1艦となった。 1942年10月1日、日本鋼管株式会社鶴見造船所で起工。1943年5月25日、御蔵と命名されて本籍を横須賀鎮守府と仮定し、御蔵型海防艦の1番艦に定められる。7月16日進水。10月5日、艤装員事務所を日本鋼管鶴見造船内事務所に設置し事務開始。30日竣工し、艤装員事務所を撤去。同日付で本籍を横須賀鎮守府と定められ、第四艦隊第二海上護衛隊に編入。
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計画から竣工まで
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「三宅 (海防艦)」の記事における「計画から竣工まで」の解説
マル急計画の海防艦甲、第310号艦型の13番艦、仮称艦名第322号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙の基本計画が決定し、本艦がその第1艦となる予定だったが、建造予定を繰り上げて仮称艦名第320号艦が海防艦乙の第1艦となった。 1943年(昭和18年)2月22日、日本鋼管鶴見造船所で起工。7月5日、海防艦3隻(三宅、満珠、干珠)は同時に命名される。三宅は御蔵型海防艦に、満珠と干珠は占守型海防艦に類別された。8月30日、三宅は進水した。11月1日、鶴見造船所内に設置された三宅艤装員事務所は、事務を開始する。11月30日、三宅は竣工した。艤装員事務所を撤去する。呉鎮守府籍。海上護衛総司令部(司令長官及川古志郎海軍大将、11月15日新編) 隷下の第一海上護衛隊に編入される。
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