計画から暫定2車線開通まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 06:08 UTC 版)
「大手大橋」の記事における「計画から暫定2車線開通まで」の解説
長岡市は信濃川の両岸に市街地が発達しているが、市内中心部に架かる橋梁は長らく長生橋1本だけしかなかった。1970年(昭和45年)に長岡バイパスが部分開通した際に長岡大橋が開通したものの、両橋梁は朝夕のラッシュ時をはじめ終日にわたって交通量が増大し続けており、市内東西を往来する上で大きな支障となっていた。 これに伴って県と長岡市は市内中心部の交通円滑化を図るため、信濃川右岸側の長岡駅大手口から西へ伸びる「大手通り」から信濃川左岸側へ至る都市計画道路の建設を計画し「第二長生橋」の新設が決定。1974年(昭和49年)秋に市民を対象に名称の一般公募を実施し、10月に「大手大橋」に決定。建設事業は1980年(昭和55年)秋に本体着工となった。建設にあたっては、右岸側で家屋の移転や裁判所用地の変更が行われた。 また、開発の進む長岡ニュータウンを含む川西地域の上水道の供給力増強を図るため、橋梁部には幹線上水道が併設されることとなった。 こうして約70億円の工費と約5年の工期を経て1985年(昭和60年)7月23日、上流側の橋梁を使用した暫定2車線で開通した。なお、左岸側でこのとき開通したのは古正寺町の県道までであり、そこから長岡バイパスへの接続部は1992年(平成4年)に開通している。
※この「計画から暫定2車線開通まで」の解説は、「大手大橋」の解説の一部です。
「計画から暫定2車線開通まで」を含む「大手大橋」の記事については、「大手大橋」の概要を参照ください。
- 計画から暫定2車線開通までのページへのリンク