計画から着工までの経緯
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「THE TOKYO TOWERS」の記事における「計画から着工までの経緯」の解説
THE TOKYO TOWERS の事業は、ミサワホームが構想していたミサワシティプロジェクトを前身とし、ミサワホームの経営状態悪化から2004年(平成16年)1月に住友商事への譲渡が決定されたものである。 1991年(平成3年) - ミサワホームが日本食糧倉庫が所有する勝どき6丁目の土地1万坪を、不動産流通子会社(MRD)に日本食糧倉庫を吸収合併させる企業買収により取得する(高層棟部が該当地である)。この買収では、後に事業を引き継ぐ住友商事が競合であった。 2000年春 - コスモスイニシアが計画していた勝どき6丁目マンションが地域住民の反発から建設中止となり、事業用地をミサワホームが取得する(低層棟部が該当地である)。 2000年(平成12年)8月 - 勝どき開発株式会社から東京都に(仮)勝どき六丁目開発事業の環境影響評価調査計画書が提出される。高さ200メートル、総戸数2,500戸、駐車場2,300台、居住施設+事務所、2002年(平成14年)6月着工の2005年(平成17年)5月竣工という計画であった。 2001年(平成13年)4月 - ミサワシティ株式会社(勝どき開発から改名)から東京都に、(仮)勝どき六丁目開発事業の環境影響評価書案が提出される。高さ192メートル、総戸数2,800戸、駐車場2,000台、居住施設+商業・業務施設、2002年(平成14年)6月着工の2005年(平成17年)5月竣工という計画であった。 7月 - 東京都による再開発地区計画、中央区による市街地再開発促進区域の都市計画の決定を受ける。 2002年(平成14年)3月 - ミサワシティアイデアコンペの結果発表がされる。審査員は坂本龍一、加山雄三、島田晴雄、高田賢三、マリ・クリスティーヌらであった。 7月 - 東京都から個人施行による市街地再開発事業の施行認可を受ける。 2003年2月 - ミサワホームが特別目的会社(SPC)にUFJ信託銀行に信託していた事業地の信託受益権を譲渡、野村證券を主幹事に社債600億円を発行し生損保等の機関投資家に販売する方向に(日経新聞)。2棟で900億円の事業費調達が困難な状況だった。 2003年(平成15年)11月 - 都市基盤整備公団(現在の都市再生機構)が具体的な事業支援内容を表明する。支援は保留床の処分スキームにとどまり、事業費調達の課題は残ったままだった。 12月 - ミサワホームによる個人施工から、複数の出資企業から成るSPCミサワ都市開発による会社施工の事業に転換する。 2004年(平成16年)1月 - ミサワホームは経営状態の悪化から事業の継続を断念し、事業地周辺の再開発に取り組み、かつて同事業地取得にも名乗りを上げていた住友商事への事業(SPCの株式)譲渡に基本合意する。 3月 - 住友商事への事業譲渡が完了する。譲渡価格は一説によると簿価850億円に対し153億円である。簿価に対しては破格値であるが、会社経営用資金調達の担保に入れられていたためこの価格で譲渡するのが精一杯だったとも言われる。 11月 - 東京都より、勝六再開発株式会社(出資者:住友商事、都市再生機構、オリックス不動産、東急不動産の4社)が施工者となる勝どき六丁目地区市街地再開発事業の施工認可を受け、首都圏初の再開発会社施行方式による再開発事業となる。 12月 - 東京都より、再開発事業権利変換認可、民間都市再生事業大臣認定を受ける。 2005年(平成17年)1月 - 着工。 2008年(平成20年)1月 - 竣工。
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