ロシア軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:29 UTC 版)
「ボロディアンカ爆撃」の記事における「ロシア軍の攻撃」の解説
ロシアのウクライナ侵攻が起こるまでは、ボロディアンカはキエフの北にある人口13,000人ののどかな町だった。 ロシア軍によるキエフへの攻勢において、ボロディアンカは戦略的に重要な進軍路の途上にあり、ロシア軍による多数の爆撃の目標になった。ウクライナのイリーナ・ベネディクトワ検事総長によれば、ロシア軍は、最大数の住民が家にいる夜中に、クラスター爆弾、タルナード、BM-27を使って建物を破壊し、炎上させたという。メインストリートのほぼすべての建物を含め、ボロディアンカの建物のほとんどが破壊された。ロシアの爆弾が建物の中心に直撃し、骨組みを残して崩壊した。ウクライナのオレクシー・レズニコウ国防相は、爆撃により多くの住民が1週間にわたり瓦礫の下敷きになり死に瀕しているとし、さらに助けに向かった人々がロシア兵士に撃たれていると発言した。 ベネディクトワは、ロシア兵士による民間人の殺害、拷問、殴打を非難した。 一部の住民は38日間も地下室に避難していた。3月22日、キエフから撃退されたロシア軍が、ドンバス地方に集結するためにキエフ州から徐々に撤退した。ボロディアンカ町長は、ロシア軍の車列が町を通過し、ロシア兵士が開けっぱなしの窓から発砲したと発言し、少なくとも200人が亡くなったと推定した。 ロシア軍撤退後の生存者はわずかに数百人ばかりで、およそ90%が避難したままであり、数え切れないほどの人が瓦礫の下敷きになって死亡した。ロシア軍は撤退する際に町の至るところに対人地雷を残していった。
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