1944年4月-6月 マリアナ方面護衛
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「第四号海防艦」の記事における「1944年4月-6月 マリアナ方面護衛」の解説
1944年4月2日、海上護衛総司令部第一海上護衛隊に編入されたが、同日横須賀鎮守府作戦指揮下に編入。同日佐伯を出発し、3日横須賀に入港。軍隊区分海上護衛総部隊横須賀鎮守府海上護衛部隊戊直接護衛部隊に配置。7日、東松五号船団(5隻)を護衛してパラオへ向け館山発。10日、父島二見港に退避。本艦は二見港口で哨戒と対戦掃蕩に従事。18日、引き続き東松五号船団を護衛して父島発。24日、パラオ着。26日、東松五号復航船団(4隻)を護衛して横須賀へ向けパラオ発。27日、船団は2隻が被雷したため、パラオへ引き返す。29日、再度東松五号復航船団(2隻)を護衛してパラオ発。5月4日、横須賀着。 5月13日、館山で東松八号船団(3隻)と合同。14日、サイパンへ向け館山発。19日、サイパン着。20日、東松八号船団から分離し、筥崎丸船団(3隻)を護衛してグアムへ向けサイパン発。23日、グアム着。同日、第128号特設輸送艦を護衛してヤップへ向けグアム発。24日、ヤップ着。26日、引き続き第128号特設輸送艦を護衛してパラオへ向けヤップ発。27日、パラオ着。30日、サイパンへ向けパラオ発。 サイパンへ向け航行中の6月2日、軍隊区分甲直接護衛部隊から除かれ、軍隊区分「サイパン」方面直接護衛部隊に配置。5日、サイパン着。6日、横須賀鎮守府作戦指揮を解かれ、第一海上護衛隊に復帰。同日、2隻を護衛してグアムへ向けサイパン発。7日、グアム着。8日、3隻を護衛してグアム発。9日、サイパン着。11日、4611船団(12隻)を護衛して横浜へ向けサイパン発。4611船団と護衛部隊は、12日からアメリカ艦上機やアメリカ海軍水上部隊との交戦により大損害を受けて散り散りとなり、本艦は18日に横須賀に入港した。18日から7月7日まで、横須賀海軍工廠で入渠し修理と整備を行う。
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