1944年 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊とは? わかりやすく解説

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1944年 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 13:37 UTC 版)

第九号海防艦」の記事における「1944年 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」の解説

1944年3月28日海上護衛総司令部第一海上護衛隊編入4月3日ヒ57船団(9隻)を護衛して門司発。途中高雄カムラン湾経由して16日シンガポール着。21日復航のヒ58船団(7隻)を護衛して内地へ向けシンガポール発。 5月3日六連沖で船団から分離し呉へ回航8日まで、呉海軍工廠入渠船体修理整備を行う。出渠後は門司回航し、ヒ63船団の編成を待つ。13日、ヒ63船団11隻)を護衛して門司発。18日経由地マニラ入港20日引き続き63船団護衛してマニラ発。24日からは第15号海防艦とともに船団から離れて対潜制圧行い27日シンガポール着。 6月4日復航64船団(4隻)を護衛してシンガポール発。15日門司到着し、呉へ回航16日から22日まで呉海軍工廠入渠し、電波探信儀工事水中探信儀整流装備工事を行う。出渠後門司へ回航し、23日09船団26隻)を護衛してミリへ向け門司発。29日経由地高雄入港30日引き続き09船団護衛して高雄発。 7月3日経由地マニラ入港7日引き続き09船団護衛してミリへ向けマニラ発。12日ミリ着。15日、ミシ05船団(5隻)を護衛してシンガポールへ向けミリ発。19日シンガポール着。24日シマ02船団11隻)を護衛してマニラへ向けシンガポール発。8月5日マニラ着。 8月9日マタ26船団24隻)を護衛して基隆へ向けマニラ発。15日、単艦で左営回航18日基隆回航20日タモ23船団14隻)を護衛して門司へ向け基隆発。26日門司の手前で船団から分離し佐世保回航27日から29日まで佐世保海軍工廠入渠し、訓令工事を行う。30日油谷湾回航9月1日、さらに佐世保回航2日から5日まで佐世保海軍工廠入渠し、水中探信儀整流覆工事を行う。7日門司回航11日モタ26船団19隻)を護衛して門司発。17日モタ26船団高雄到着したが、本艦はヒ74船団合同のため単艦で船団から分離し18日同船団と高雄入港した25日タマ27船団11隻)を護衛して高雄発。途中サブタン海峡アパリラボック湾、サンフェルナンド退避繰り返し10月3日までサンフェルナンド待機10月3日本艦サンジャックからマニラ航行中サマ13船団合同のため、サンフェルナンド出港7日サンジャック着。サマ13船団本艦サンジャック到着する前に海難遭遇し出港見込み立たないため、本艦ヒ船団護衛のため8日シンガポール回航し、10日着。12日、ヒ76A船団(4隻)を護衛して内地へ向けシンガポール発。15日サンジャック着。18日船団サンジャック出港した悪天候のため反転し20日サンジャック入港22日再度出港し31日六連到着した11月1日佐世保回航し、2日から7日まで佐世保海軍工廠機銃増備迫撃砲設置工事を行う。8日三池回航し、モマ07船団の編成を待つ。10日モマ07船団11隻)を護衛してマニラへ向け三池発。11日五島列島大瀬崎沖で船団アメリカ潜水艦群の攻撃受けて損害出したため、泗礁山へ退避本艦13日に泗礁山に到着し即日出撃して対潜掃蕩従事16日引き続きモマ07船団護衛して泗礁山発。途中三門湾を経由し19日高雄入港モマ07船団はここで解列となり、本艦22日馬公回航23日には日南水道回航してヒ81船団合同し25日には同船とともに馬公帰着27日ヒ81船団護衛してシンガポールへ向け馬公発。12月4日シンガポール到着したシンガポール在泊中の12月10日第一海上護衛隊第一護衛艦隊改編12日1600第9号海防艦海防艦択捉久米昭南第19号海防艦と共に82船団護衛してシンガポール出港17日船団カムラン湾到着同地駆逐艦潮を加えた船団は、19日カムラン湾出港しベトナム沿岸北上した21日の朝、船団は米潜フラッシャー発見されるフラッシャー船団追跡その後フラッシャー徐々に護衛の薄い方向回りこんで攻撃態勢に入る。同日第19号海防艦シンガポールに向かう特設運送船(給油船)日栄丸(日東汽船10,020トン)の護衛のため船団から分離し反転してカムラン湾に向かう。翌22日午前5時頃、第9号海防艦を含む護衛艦5隻全て船団近くから離れてしまい、船団一時的に護衛なしの状態となる。フラッシャーはこの好機逃さず北緯15度02東経10908分 / 北緯15.033度 東経109.133度 / 15.033; 109.133の地点攻撃開始した。5時50分、フラッシャー艦尾発射管から魚雷を4本発射タンカー音羽山丸(三井船舶、9,204トン)の船尾中央部魚雷が1本ずつ命中する音羽山丸は航空機用ガソリン17,000トン積んでおり、数百メートル火柱上げて炎上しながら、左舷倒れて船尾から沈没していった。直後の5時51分には2TL型戦時標準タンカーありた丸(石原汽船10,238トン)の左舷油槽魚雷が1本命中。ありた丸も搭載していた航空機用ガソリン16,000トン誘爆火達磨となって6時22分に沈没していった。6時30分ごろには、フラッシャー特設運送船(給油船)御室山丸(三井船舶、9,204トンに対して魚雷を4本発射し御室山丸の船尾機関室前部魚雷1本が命中重油16,000トン積んでいた御室山丸は黒煙上げながら沈没した日本側は機雷敷設区域入り込んだ考えたため、フラッシャーへの反撃を行わなかった。24日0900、船団高雄到着。ここで1TL型戦時標準タンカー橋立丸日本水産10,021トン)が、積んでいた航空機用ガソリン17,000トン台湾守備隊用に回すことになったため船団から分離。翌25日航空機用ガソリン8,800トン、錫2,000トン生ゴム1,000トン積んだ逓信省標準TM型タンカーぱれんばん丸(三菱汽船、5,237トン)のみとなった船団護衛して高雄出港26日船団基隆寄港同地第9号海防艦船団から分離する

※この「1944年 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」の解説は、「第九号海防艦」の解説の一部です。
「1944年 第一海上護衛隊/第一護衛艦隊」を含む「第九号海防艦」の記事については、「第九号海防艦」の概要を参照ください。

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