1944年 横須賀鎮守府作戦指揮下とは? わかりやすく解説

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1944年(1) 横須賀鎮守府作戦指揮下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 09:05 UTC 版)

第二十号掃海艇」の記事における「1944年(1) 横須賀鎮守府作戦指揮下」の解説

1944年3月5日横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され7日横須賀着。9日木更津東松二号船団10隻)に合流12日木更津発し19日サイパン着。20日陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアム向かい同日着。22日玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパン向かい23日着。28日特設運送船慶洋丸(元東松一号船団)、同いくしま丸を特設掃海艇第八拓南丸と護衛しサイパン発し横須賀へ向かう。30日いくしま丸がアメリカ潜水艦スティングレイ攻撃を受け沈没し、本艇は爆雷戦ののち溺者救助にあたる。4月4日横須賀着。 4月15日東松六号船団26隻)を護衛して木更津発。同日付で新任艇長田中大尉が発令されたが船団出発には間に合わず田中大尉は本艇が横須賀帰還してから本艇に着任した23日サイパン着。同日稲荷丸と利根川丸を卯月猿島護衛してグアム向かい同日着。25日復航船を護衛してグアム発、同日サイパン着。27日東松六号復航船団14隻)を護衛してサイパン発。5月4日横須賀着。 5月17日、3515船団12隻)を護衛して館山発。25日サイパン着。28日便乗119名を乗艇させ濱江丸船団(2隻)を護衛してサイパン発、同日グアム到着し便乗者下艇。29日ばたびや丸船団(2隻)を護衛しグアム発、同日サイパン着。31日、4530船団(8隻)を護衛しサイパン発。6月2日千代丸4日には白山丸被雷沈没し爆雷戦を行う。8日横須賀到着し19日まで横須賀海軍工廠第二船渠訓令工事、艇底塗り替え作業等を行う。 6月24日、3624船団(2隻)を第171号駆潜特務艇と護衛し八丈島向かい25日神湊着。神湊泊地警戒にあたる。28日特設運送船第十雲海丸を護衛し神湊発、29日横須賀着。 7月1日横須賀鎮守府作戦指揮解かれ鎮海警備府海上護衛部隊に復帰2日芝園丸を第159号駆潜特務艇と護衛して八丈島へ向かう。3日八丈島着。4日芝園丸3701船団引渡し八丈島出発し6日鎮海着。以降朝鮮半島南部での対潜掃蕩浮流機雷処分等に従事28日門司回航支那方面艦隊作戦指揮下に編入

※この「1944年(1) 横須賀鎮守府作戦指揮下」の解説は、「第二十号掃海艇」の解説の一部です。
「1944年(1) 横須賀鎮守府作戦指揮下」を含む「第二十号掃海艇」の記事については、「第二十号掃海艇」の概要を参照ください。

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