1944年(1) 横須賀鎮守府作戦指揮下
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「第二十号掃海艇」の記事における「1944年(1) 横須賀鎮守府作戦指揮下」の解説
1944年3月5日、横須賀鎮守府作戦指揮下に編入され、7日横須賀着。9日、木更津で東松二号船団(10隻)に合流。12日、木更津を発し、19日サイパン着。20日、陸軍輸送船玉鉾丸を護衛してグアムへ向かい、同日着。22日、玉鉾丸を特設掃海艇第五利丸と護衛してサイパンへ向かい、23日着。28日、特設運送船慶洋丸(元東松一号甲船団)、同いくしま丸を特設掃海艇第八拓南丸と護衛しサイパンを発し横須賀へ向かう。30日、いくしま丸がアメリカ潜水艦スティングレイの攻撃を受け沈没し、本艇は爆雷戦ののち溺者救助にあたる。4月4日、横須賀着。 4月15日、東松六号船団(26隻)を護衛して木更津発。同日付で新任艇長田中大尉が発令されたが船団の出発には間に合わず、田中大尉は本艇が横須賀に帰還してから本艇に着任した。23日、サイパン着。同日、稲荷丸と利根川丸を卯月、猿島と護衛してグアムへ向かい、同日着。25日、復航船を護衛してグアム発、同日サイパン着。27日、東松六号復航船団(14隻)を護衛してサイパン発。5月4日、横須賀着。 5月17日、3515船団(12隻)を護衛して館山発。25日、サイパン着。28日、便乗者119名を乗艇させ濱江丸船団(2隻)を護衛してサイパン発、同日グアムに到着し便乗者下艇。29日、ばたびや丸船団(2隻)を護衛しグアム発、同日サイパン着。31日、4530船団(8隻)を護衛しサイパン発。6月2日に千代丸、4日には白山丸が被雷沈没し爆雷戦を行う。8日横須賀に到着し、19日まで横須賀海軍工廠第二船渠で訓令工事、艇底塗り替え作業等を行う。 6月24日、3624船団(2隻)を第171号駆潜特務艇と護衛し八丈島へ向かい、25日神湊着。神湊で泊地の警戒にあたる。28日、特設運送船第十雲海丸を護衛し神湊発、29日横須賀着。 7月1日、横須賀鎮守府作戦指揮を解かれ、鎮海警備府海上護衛部隊に復帰。2日、芝園丸を第159号駆潜特務艇と護衛して八丈島へ向かう。3日、八丈島着。4日、芝園丸を3701船団に引渡して八丈島を出発し、6日に鎮海着。以降、朝鮮半島南部での対潜掃蕩、浮流機雷の処分等に従事。28日、門司へ回航し支那方面艦隊作戦指揮下に編入。
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