船団の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 03:42 UTC 版)
「ファースト・フリート」の記事における「船団の人々」の解説
ファースト・フリートの人々のほとんどはイギリス人だったが、アフリカ人、アメリカ人、フランス人の囚人も乗船していた。船団の人々は、船員、海軍の兵士とその家族、政府の役人、そして大勢の囚人たちであり、女性や子供も含まれている。囚人たちは、窃盗、偽証、詐欺、暴行、強盗などをの多様な犯罪を犯していた。これらの囚人には、7年や14年、あるいは無期の流刑が言い渡されていた。 6隻の囚人輸送船には、それぞれ海軍の兵隊も分かれて乗り込んだ。海兵たちの家族の多くは、プリンス・オブ・ウェールズ号で航海した。ファースト・フリートの幾人かの人々は自らの経験について、日記や記録をつけていた。この中には船医も含まれる。知られている12の日誌(英語版)といくつかの手紙が存在する。 船団の人数の正確な数はさまざまであり、確定していない。最も知られているものでは、船団の合計は1,420人で、翌年、シドニーに到着した際には、1,373人であるというものである。下記の表は、モーリー・ギレン(Mollie Gillen)が調査した人数のものである。 ポーツマスで乗船した人数シドニーに上陸した人数公務員や乗客 15 14 船員 323 269 海兵 247 245 海兵の妻や子供 46 45 + 9 (航海中に出生) 男性囚人 582 543 女性囚人 193 189 囚人の子供 14 11 + 11(航海中に出生) 合計 1,420 1,373 一方で、初代ニューサウスウェールズ植民地総督となったアーサー・フィリップによると、船団の合計は1,030人で構成されているとしている。また、法務官デーヴィッド・コリンズの記録である「An Account of the English Colony in New South Wales」では、各船毎のトン数、乗組員の詳細及び人数を記録している。
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