船員時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 03:23 UTC 版)
「ジョゼフ・コンラッド」の記事における「船員時代」の解説
1873年にルヴフのギムナジウムに通うようになり早熟さを発揮したが、16歳になった翌年、健康上の理由で進級できず、伯父に船乗りになりたいという希望を伝えた。伯父は思いとどまらせようと、家庭教師とともにイタリア、スイスなどを巡る旅行にも送り出したりもしたが、意思は固く、そのつてによってマルセイユへ渡って、フランス商船の船員となった。西インド諸島のマルチニックなどへ航海し、時にコロンビアやベネズエラに密輸物質の運搬にも関わった。その後密貿易へのに投資話しに騙され、モンテカルロで賭博に手を出して一文無しになり、1878年にマルセイユで拳銃自殺を図った。回顧録によれば、コンラッドの乗る船は武器密輸や国家間の政治的陰謀にも関わっていた。1878年、20歳になると流刑囚の子に課されるロシアの兵役を忌避したと見なされてフランス船には乗れなくなり、英国船に移り勤務し、以降英語を学びつつ、マルタ島、イスタンブール、アゾフ海などを経て、イギリス本土のサフォーク州ロースロフトに着き、石炭運搬船に乗り込み、ついでシドニーなどへ航行したのち、ロンドンの訓練学校に通って二等航海士の資格を得て、インド、シンガポールなどに航行する。この時に得た見聞が、後のコンラッドの小説に大きな影響を及ぼした。経験を積んで1884年には一等航海士の試験に合格。1886年には船長試験に合格し、またイギリス国籍を取得して、ジョゼフ・コンラッドと改名した。 1889年に帰国して『オルメイヤーの阿房宮』の執筆を始める。当時デイヴィッド・リヴィングストンやヘンリー・モートン・スタンリーの探検によりアフリカへの注目が集まると、1890年にベルギーの象牙採取会社の船の船長となって、コンゴ川就航船に乗り、さらに陸路でレオポルドヴィル(キンシャサ)まで行き、船を乗り換えてキサンガニに到達、その後病に倒れ、1891年にブリュッセル経由でロンドンに戻った。またこの年には痛風、神経痛による右手の痛み、マラリアの再発のために数ヶ月入院し、また伯父のアドバイスに従ってスイスの温泉で療養した。その後はイギリスとオーストラリアを往復する旅客船に乗ったり、船員以外の仕事をしていた。1893年にオーストラリアとニュージーランドから戻る船には、のちに作家となるジョン・ゴールズワージーとエドワード・ランスロット・サンダーソンの二人の若いイギリス人が乗っており、コンラッドにとって船員以外に最初に友情を結んだイギリス人だった。ゴールズワージーの習作「The Doldrums」の主人公はコンラッドがモデルとなっている。
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