船団の出航と特攻攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 05:39 UTC 版)
「ミンドロ島の戦い」の記事における「船団の出航と特攻攻撃」の解説
上陸船団は高速輸送艦(APD)8隻、戦車揚陸艦(LST)30隻、中型揚陸艦(LSM)12隻などと護衛の軽巡洋艦ナッシュビル(旗艦)及び駆逐艦8隻で構成され、重巡1隻、軽巡2隻、駆逐艦12隻からなる直掩艦隊と、護衛空母6隻、戦艦3隻、重巡2隻その他の支援艦隊が随伴していた。第19歩兵連隊のほか、第503空挺歩兵連隊の落下傘兵らも、レイテ島の滑走路が確保できなかったために海路でマンガリン湾へ上陸することとなった。基地設営要員なども含めて、上陸部隊の総兵力は約2万7千人であった。占領後に駐留させる魚雷艇23隻も随伴していた。 1944年12月13日、ネグロス島から発進した神風特攻隊26機を含む日本海軍機36機および陸軍特攻機若干が、ミンドロ島への上陸部隊を乗せて航行中のアメリカ艦隊を攻撃した。特攻機の命中により軽巡ナッシュビルが大破して、133人が戦死し、190人が負傷した。上陸部隊の指揮官であるウィリアム・C・ダンケル准将が重傷を負ったほか、死傷者には上陸部隊の高級幕僚多数が含まれていた。軽巡ナッシュビルの指揮機能が失われたため、司令部は駆逐艦ダッシールに移乗した。他にも戦車揚陸艦などが攻撃を受け、駆逐艦ハラデンが大破した。米陸海軍航空部隊は、12月の1週目頃に、神風特攻隊を壊滅させるための作戦を実施していた。この作戦では700機以上の日本軍航空機を破壊することが要求されていたが、結局日本側に十分な損害を与えられなかったとアメリカ軍は評価している。 なお、日本軍はミンドロ島への上陸部隊であるとは察知しておらず、13日時点ではネグロス島、14日になってもルソン島南部への上陸部隊ではないかと予想していた。この誤認の結果、多号作戦の中止などが決まった。
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