船団の到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:52 UTC 版)
ハウの艦隊は大部分がもはや戦える状態になく、ビスケー湾でのフランス護送船団の捜索を再開することは不可能だった。海軍本部は海戦がおこなわれたことを、ハウが置かれた詳細な状況を知らないまでも、オーダシャスのポーツマス到着によって知っており、ジョージ・モンタギューによる第2段階の作戦を準備していた。モンタギューは不成功に終わった5月の巡航の後、イギリスに帰国して、ポーツマスで修理と補給を受けつつ海に出る機会を待っていた。10隻の戦列艦からなる彼の艦隊の任務は、ハウのビスケー湾からの撤退を支援するとともに、かつフランスの穀物輸送船団を発見し、攻撃することだった。6月3日に出航したモンタギューは、フランス船団かハウ艦隊をもとめて、6月8日にはウェサン島沖に進出した。彼はどちらもまだヨーロッパ沿岸に到達していないことを知らなかった。6月8日の15時30分、モンタギューは帆影を見つけて、すぐに敵であることを確認した。それはコルニクの戦隊であり、同じく護送船団と、共に帰還する艦隊を探していたのだった。モンタギューはコルニクを追跡してビスケー湾に追い込み、翌日の海戦を期待して一晩中、フランス戦隊を封鎖した。しかし6月9日、モンタギューは西方に、ヴィラレー艦隊の生き残りと思われる19隻のフランス戦列艦を発見した。彼は急いで向きを変えて、2つの艦隊に挟み撃ちにされてねじ伏せられるのを避けるため、南に退避した。ヴィラレーとコルニクは1日かけてそれを追跡し、その後東に向きを変えて、安全なフランスの港を目指した。 ハウはモンタギューの退避によって助けられた。ハウはその疲弊した艦隊を率いて、6月10日に、フランスを撃退した場所の近くを通過し、イギリス海峡に向けて北進した。ヴィラレーとコルニクが、偶然にも南にモンタギューを追跡している隙に、ハウはやすやすとウェサン島を通過して、6月12日にプリマス沖に到着し、ほどなくしてモンタギューと合流した。ヴィラレーとコルニクはその前日ベルテオーム湾に錨泊した、しかしサンタンドレは、ブレストの住民の、共和党員の意見が査定されるまでは、ヴィラレーのブレストへの入港を許可しなかった。アメリカからの輸送船団は、6月12日についにフランス沖に到着した。航行中に失われた船は、嵐のために行方不明になった1隻だけだった。
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