エメリック・プレスバーガーとは? わかりやすく解説

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エメリック・プレスバーガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 03:21 UTC 版)

エメリック・プレスバーガー
Emeric Pressburger
本名 Imre József Pressburger
生年月日 (1902-12-05) 1902年12月5日
没年月日 (1988-02-05) 1988年2月5日(85歳没)
出生地 オーストリア=ハンガリー帝国 ミシュコルツ
死没地 イングランド サフォーク州サックステッド英語版
職業 脚本家、映画監督、プロデューサー
著名な家族 アンドリュー・マクドナルド(孫)
ケヴィン・マクドナルド (映画監督)(孫)
主な作品
うずまき』(1945年)
『天国への階段』(1946年)
黒水仙』(1947年)
赤い靴』(1948年)
受賞
アカデミー賞
原案賞
1942年潜水艦轟沈す
カンヌ国際映画祭
フランス映画技術高等委員会賞
1951年ホフマン物語
英国アカデミー賞
フェローシップ賞
1980年
その他の賞
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エメリック・プレスバーガーEmeric Pressburger, 1902年12月5日 - 1988年2月5日)は、ハンガリー生まれでイギリスで活動した脚本家映画製作者で、マイケル・パウエルとのコンビ「パウエル=プレスバーガー」による共同製作・監督・脚本で知られる。

来歴・人物

オーストリア・ハンガリーのミシュコルツで生まれたプレスバーガーは本名を Pressburger Imre József という。プラハシュトゥットガルトの大学で法律を学んだのちジャーナリストとなる。1920年代末にベルリンウーファ社でシナリオを書くようになるが、ナチスの台頭にともないユダヤ人であったプレスバーガーはパリに移る。そこでイギリス映画のための仕事をするようになった彼は、ハンガリー出身のアレクサンダー・コルダのすすめもありロンドンに渡る。

コルダのロンドン・フィルムズに脚本家として雇われたプレスバーガーだが、初めは英語も話せなかった。独学で英語を身につけやがて一本立ちの脚本家となったプレスバーガーはマイケル・パウエルと知り合い意気投合する。二人で映画製作会社アーチャーズ Archers を設立し1942年から1956年まで、15本の映画を共同で製作(監督・脚本も)した。

パウエルとのコンビを解消した後は単独で脚本や小説を書いた。彼の小説『日曜日には鼠を殺せKilling a Mouse on Sundayフレッド・ジンネマンによって映画化されている。

主な作品

脚注

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