京井秋行
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京井 秋行(きょうい ときゆき、1920年 - 1944年12月9日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で遊撃手として活躍した人物である。大阪府出身。
来歴・人物
浪華商業(現・大阪体育大学附属中学校・浪商高等学校)在学中に投手及び三塁手として、1938年春の大会ではチームのベスト8進出に貢献。この大会では優秀選手賞を受賞した。
1940年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦でも遊撃手として活躍した。しかし応召され、中国に出征。1944年12月9日、中国湖南省の野戦病院で戦病死した。享年24。東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている[1]。
脚注
外部リンク
- 戦没野球選手慰霊(沢村栄治記念館のページ)※京井秋行の項がある。
- 京井秋行のページへのリンク