山田要一とは? わかりやすく解説

山田要一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 07:05 UTC 版)

山田要一
基本情報
国籍 日本
出身地 福島県
生年月日 (1944-09-11) 1944年9月11日(80歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 中山・柴田恒治郎(1965 - 1971)
中山白井美浦・小林勘治郎(1971 - 1979)
初免許年 1965年
免許区分 平地
騎手引退日 1979年
通算勝利 1614戦122勝
調教師情報
初免許年 1982年
調教師引退日 2008年3月31日
重賞勝利 1勝
通算勝利 中央191勝、地方4勝
経歴
所属 美浦・小林勘治郎厩舎調教助手(1979 - 1980)
美浦・仲住芳雄厩舎調教助手(1980 - 1982)
美浦T.C.北(1982 - 2008)
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山田 要一(やまだ よういち、1944年9月11日 - )は、福島県出身の元騎手・元調教助手・元調教師

来歴

中学卒業後の1960年中山・柴田恒治郎厩舎に騎手見習として入門し、1965年に騎手免許を取得して同厩舎からデビュー。

1年目の同年は3月13日の中山第11競走4歳以上30万下・トリユウモン(15頭中4着)で初騎乗を果たし、同馬に騎乗した4月29日東京第11競走4歳以上30万下で初勝利を挙げる[1]11月13日14日の東京では初の2日連続勝利[2]を挙げ、初年度は8勝[3]をマーク。

2年目の1966年4月23日の中山では初の1日2勝[2]、秋の新潟では9勝[4]を挙げるなど、初の2桁勝利で自己最多の31勝[3]をマーク。

3年目の1967年福島戦5勝・中山戦4勝[5]の9勝をマークし、1968年も9勝と2年連続で2桁勝利には1勝届かなかった[3]

1969年は自己最低の2勝[3]に終わるが、グランドリュウオーで読売カップ(春)2着[6]に入った。

1971年には中山白井・小林勘治郎厩舎に移籍し、10月10日の中山第2競走3歳新馬をハクズイコウ産駒ジャストでイシノヒカルに勝利[7]するなど、5年ぶりで最後の2桁勝利となる10勝[3]をマーク。

1979年には2月4日中京第8競走乗鞍特別・ウエスタンリュウが最後の勝利となり、同馬に騎乗した同11日の中京第9競走アメジストハンデキャップ(15頭中13着)を最後に現役を引退[8]

引退後は小林厩舎の調教助手となり、1980年には美浦仲住芳雄厩舎へ移籍し、1982年に調教師免許を取得。

1983年に開業し、3月12日の中山第8競走5歳以上400万下・ヤマノチャンプ(15頭中4着)で初出走を果たすと、同馬を出走させた27日の中山第7競走5歳以上400万下で初勝利を挙げたが、共に手綱は蛯名利弘であった[9]4月10日には中山大障害(春)ライバコウハクで重賞初出走を果たし、大江原哲騎乗てオキノサキガケの2着であった[9]

1986年には朝日杯3歳Sプレストウコウ産駒ドウカンプレスを岡部幸雄騎乗で出走させ[10]メリーナイスホクトヘリオスに次ぐ3着[11]であった。

1988年にはスイフトスワロー産駒ブルーメルセデスがテレビ東京賞3歳牝馬ステークスを10番人気ながら2着[12]に入る。

1990年にはハイセイコー産駒の芦毛ケリーバッグが菅原泰夫とのコンビで桜花賞ではアグネスフローラの2着、優駿牝馬ではエイシンサニーの3着に入り[13]、テレビ東京賞3歳牝馬ステークス・ブルーベイブリッジで騎乗する藤原英幸と共に唯一の重賞勝利を挙げる[14] [15]

2000年代にはアンバーシャダイ産駒カナハラドラゴンが活躍し、後藤浩輝とのコンビでは2003年カブトヤマ記念2着[16]勝浦正樹とのコンビでは2005年中日新聞杯ダンスインザモアと共に鋭く追い込んでグランリーオの3着[17]2006年には中山金杯ヴィータローザに追いすがって3着[18]大西直宏とのコンビでは新潟大賞典で後方から脚を伸ばして逃げたコンゴウリキシオーに襲いかかり、オースミグラスワンの2馬身差2着に入った[19]

2006年には7月16日の新潟第2競走3歳未勝利でカナハラドラゴンを叔父に持つカナハラグリーンを出走させ、蛯名正義騎乗で6番人気であったが、マチカネフクキタル産駒のJRA初勝利となった[20]

2006年11月4日の東京第5競走2歳新馬では菊沢隆徳騎乗のコウヨウアイリーンが10番人気で勝利し[21]、同馬で勝利した2007年11月10日の福島第9競走3歳以上500万下が最後の勝利となった[22]

2008年3月29日の中山第12競走4歳以上500万下・バブルビッグワン(16頭中15着)が最後の出走[23]となり、31日付で勇退[14]

引退後は競馬予想会社の顧問となる。

調教師成績

通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 186 168 183 2819 3356 .055 .105
障害 5 9 6 88 108 .046 .130
191 177 189 2907 3464 .055 .106
主な管理馬
  • ブルーメルセデス(1988年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス2着)
  • ケリーバッグ(1990年桜花賞2着・優駿牝馬3着)
  • ブルーベイブリッジ(1990年テレビ東京賞3歳牝馬ステークス)
  • カナハラドラゴン(2003年カブトヤマ記念・2005年中日新聞杯・2006年中山金杯3着、2006年新潟大賞典2着)

関連項目

脚注

  1. ^ 山田要一の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  2. ^ a b 抽出[通算 1着レース]|山田要一の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  3. ^ a b c d e 山田要一の年度別成績”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  4. ^ 抽出[1966年度 1着レース]|山田要一の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  5. ^ 抽出[1967年度 1着レース]|山田要一の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  6. ^ 読売カップ|1969年7月6日”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  7. ^ ジャスト”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  8. ^ 山田要一の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  9. ^ a b 山田要一の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  10. ^ ドウカンプレス (Dokan Press)”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  11. ^ 朝日杯3歳ステークス|1986年12月14日”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  12. ^ ブルーメルセデス (Blue Mercedes)”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  13. ^ ケリーバッグ (Kelly Bag)”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  14. ^ a b 山田要一調教師、勇退へ|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2025年1月2日閲覧。
  15. ^ JRAホームページ|データファイル|騎手・調教師データ”. jra.jp. 2025年7月8日閲覧。
  16. ^ カナハラドラゴン (Kanahara Dragon)”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  17. ^ JRAホームページ|重賞競走一覧”. jra.jp. 2025年7月8日閲覧。
  18. ^ JRAホームページ|重賞競走一覧”. jra.jp. 2025年7月8日閲覧。
  19. ^ JRAホームページ|重賞競走一覧”. jra.jp. 2025年7月8日閲覧。
  20. ^ マチカネフクキタル産駒、JRA初勝利”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  21. ^ 東京2歳新馬戦、10番人気コウヨウアイリーンが勝利”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  22. ^ 抽出[]|山田要一の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。
  23. ^ 山田要一の近走成績”. netkeiba.com. 2025年7月8日閲覧。

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