1944-45
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/11 12:43 UTC 版)
1944年6月、部隊はノルマンディー上陸作戦で西部を担当し、イギリス第21軍集団(英語版)とカーンの戦い(英語版)において激戦を繰り広げた。なお、指揮官は終始ヴィルヘルム・ビットリヒ親衛隊大将である。8月、部隊はファレーズ・ポケットの戦闘に参加し、フランスから後退した。9月17日、部隊はアーネムにおいてマーケット・ガーデン作戦の戦闘に参加した。そこでアーネムの戦い(英語版)においてイギリス第1空挺師団(英語版)と対峙し、ナイメーヘンにおいてアメリカ第82空挺師団とイギリス第30軍団(英語版)と対峙した。 バルジの戦いの準備期間、部隊は第6SS装甲軍の指揮下に入った。当初、部隊は北部で戦っていたが、その後バストーニュ南部の攻撃を担当した。しかしアメリカ第82空挺師団とアメリカ第101空挺師団の猛攻を受け壊滅し、作戦は失敗した。その後、部隊はアイフェルの防衛を担当した。 1945年2月、部隊はハンガリーのブダペストとその製油所を奪還する命令を受けた。3月6日、部隊はバラトン湖周辺における春の目覚め作戦に参加した。だが攻勢は失敗に終わり、部隊はウィーンの近くで第1SS装甲軍団と第4SS装甲軍団(英語版)とともに降伏した。その後、ソビエト軍が街を奪還すると、個々の部隊はアメリカ軍に降伏するため西へ抜け出した。そして5月8日、部隊はアメリカ軍に降伏した。
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