生産・配備
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一式中戦車の月別生産数時期生産数1944年2月 5 1944年3月 10 昭和18年度合計 15 1944年4月 20 1944年5月 10 1944年6月 55 1944年7月 0 1944年8月 45 1944年9~11月 0 1944年12月 10 1945年1月 10 1945年2月 5 昭和19年度合計 155 総生産数 170 生産総数は試作車を含め170輌(587輌という説もある)で、他の新鋭戦車・砲戦車と同じく本土決戦のためにそのほとんどが内地に留められ、実際の戦闘には投入されなかった。 なお、「フィリピンの戦車第7連隊(戦車第2師団隷下戦車第3旅団に所属)に一式中戦車が36両配備されM4中戦車と対決したが、70mまで接近しなければ対応できず、数両に損害を与えることが出来たものの、遠方から75mm砲を撃ちまくられ結局連隊が全滅した」と言われることがある。これは第7連隊を基幹とする重見支隊の1945年1月26日~27日の戦闘を指すものだが、第7連隊に実際に配備されていたのは九七式中戦車(連隊主力は47mm砲搭載型。57mm砲搭載型も砲戦車中隊に配備されていた)と九五式軽戦車であり、従ってこの逸話は九七式中戦車 新砲塔チハのものである。
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生産・配備
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「L-39 (航空機)」の記事における「生産・配備」の解説
L-39は、L-29での成功を引き継ぎ、東欧諸国を中心に3,000機近くの受注を集めた。西側に公開されたのは、1977年のパリ航空ショーで、既に1,000機以上を受注し、400-500機が就役した頃であった。その後、東欧革命による自由化で西側製電子機器を搭載したタイプも試作され、一部はCOIN機兼高等練習機としてタイ空軍に採用された。一時は米空海軍合同基本航空機訓練システム計画(JPATS計画)にも応募していた。 冷戦終結後は民間に払い下げられた機体が安価かつ高性能なアクロバット機として西側諸国にも広まった。特にアメリカでは2006年時点で260機ものL-39が民間機として登録されており、航空ショーやエアレースなどで頻繁に飛行している。 最終的に1999年まで生産された。現在でも多くの国で現役である。
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