新砲塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:16 UTC 版)
対戦車戦闘力を上げるため、貫徹力が不十分だった九七式五糎七戦車砲を、貫徹力を重視した一式四十七粍戦車砲を搭載した新式砲塔に換装した改良型。この改良により重量は14.3tから約500㎏増加し、14.8tとなった。(全備重量は15.8t、内砲塔重量は950㎏、後坐抗力は2500㎏程度である)。便宜上、本稿では47mm砲搭載型を「新砲塔チハ」と表記する。 従来の日本軍戦車は、歩兵支援重視の考え方から榴弾威力が高くかつ軽量な短砲身の戦車砲を装備していた。戦車の目的は陣地突破、火点制圧、追撃といった歩兵支援であり、対戦車戦闘は歩兵連隊や独立速射砲大隊・中隊などに配備されている連隊砲・速射砲が行うものとされていたためである。しかし、1939年(昭和14年)3月に発足した戦車開発委員会は「(将来の)戦車の搭載砲は当面は短砲身57㎜砲とするも戦車同士の戦闘の増加を考慮して高初速47㎜砲または機関砲を搭載することを考慮する」という認識を出していた。その後勃発した、数次にわたる日ソ国境紛争(ノモンハン事件等)の際、長砲身45mm砲を装備したソ連軍戦車・装甲車との戦闘を経験したことで、戦車開発委員会の認識・方針が正しかったことが証明されることとなり、新戦車砲開発がより促進されることとなる。戦車砲は1941年9月に仮制式を経て、1942年4月に一式四十七粍戦車砲として制式化された。なお、57mm長加農の採用も検討されていたが、一式機動四十七粍砲との弾薬筒共通の便宜のため断念している。九七式中戦車の車体には設計余裕があり、旧砲塔より大型化した新砲塔も無理なく採用できた。 また1941年(昭和16年)春には四一式山砲を元に開発された九九式七糎半戦車砲搭載の大型砲塔を九七式中戦車へと換装した試作車である試製一式砲戦車(試製二式砲戦車とも呼称される)が作られ、同年より試験が行われていた。この試作車は後の二式砲戦車 ホイの前身となる。 新砲塔チハで換装されたのは砲塔および主砲だけであり、車体(装甲厚・機関出力等)はそのままであった(戦車第2師団に配備された一部の車両など、現地改造の追加装甲として要部を50mmに強化したものは存在した)。なお、前面装甲厚50mmの一式中戦車の砲塔に酷似した改造砲塔を九七式中戦車の車体に搭載した車両も、数は不明であるが製作された模様である(後述)。 新砲塔チハが開発されたきっかけは、1940年9月、試製四十七粍戦車砲を搭載したチホ車の砲塔を本車に搭載して射撃試験を行ったことに端を発する。その後チホ車開発は中止されたが試製四十七粍戦車砲を搭載した試作砲塔の開発および試験は本車の車台を用いて継続的に行われていたとされる(この試作砲塔は、本車やチホ車の後継であるチヘ車に搭載する予定だったという説がある)。 新砲塔チハの登場時期については、1941年7月に陸軍技術本部が調整した「試作兵器発注現況調書」によれば、試作兵器として、九七式中戦車の砲塔改修および47mm砲を搭載する改修を行う記述がある。この改修車両の希望完成年月は1941年8月となっている。そして1941年8月29日の兵秘六一七通牒の改修指示に基づき、同年10月より既存の68輌に対して新砲塔チハへの改修が開始されている。1942年3月には十数輌の新砲塔チハが完成により臨時中隊(松岡隊)が編成され、ただちにフィリピンに送られているが、これはM3軽戦車に対抗するための応急処置であった。 新砲塔チハの初陣は太平洋戦争緒戦の1942年4月7日、フィリピン攻略戦であった。友軍爆撃機と共同の下、M3軽戦車3両を撃破した。以降、新砲塔チハは旧砲塔車から改編ないし協同運用されることになり、おおむね1943年(昭和18年)以降の日本陸軍の主力戦車となった。 戦後にアメリカ軍が撮影した写真 には、集積された戦車の中に、一式中戦車 チヘの砲塔に酷似した増加装甲を施した新砲塔チハ(車体はチハ前期型)が、斜め後方からの撮影のため不鮮明ながらも確認できる。これらの車両については、日米の新資料が出ないかぎり正体は断定できないものの、陸軍省 「昭和20年度 軍需品整備状況調査表」によれば、1945年4月 ~ 6月の間に相模陸軍造兵廠において32輌のチハ車に対して砲塔改修が行われている(ただし砲塔改修の内容については詳細は記述されておらず、増加装甲を施す改修であったのかは不明である)との既述があることから、戦争末期に相模陸軍造兵廠などにおいて、既存の新砲塔チハ砲塔に増加装甲を施し、一式中戦車の砲塔の外観を模した砲塔改修を行った車両である可能性がある。 また、アメリカ、インディアナ州クロウフォーズビル(英語版)のロプキー装甲博物館(英語版)には、一式中戦車の砲塔に酷似した増加装甲付きの改造砲塔(一式中戦車の砲塔そのものではない)の新砲塔チハが展示されている。この改造砲塔車は、以前はワシントン海軍工廠に展示されていた車両で、砲塔外観は一式中戦車チヘ砲塔に酷似しているものの、チヘ砲塔とは細部が異なり、砲基部の周辺形状や防盾が左右に可動することなどから搭載戦車砲は新砲塔チハのものと同一である。
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