新社会党(PS)への移行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 04:13 UTC 版)
「フランス社会党 (SFIO)」の記事における「新社会党(PS)への移行」の解説
しかし翌1968年、ド=ゴール体制に対する積年の大衆の不満を背景に五月革命が爆発すると情況は一変する。この時期社共などの左翼陣営は長期的ヴィジョンを欠いており有利な情勢を切り開くことができず、直後の6月総選挙では「体制危機」の名の下に結束したド=ゴール派の反撃にあって予想外の大敗を喫する失態を演じた。こうした状況の下、SFIO内部では従来の社会党を解消し、FGDSを改組して新たな社会党の結成に向かうべきであるとの議論が高まり、同年12月のSFIOピュトー大会で新党結成のための「諸原則の宣言」が採択された。 SFIO主流派であるギー・モレ派は、FGDSを構成するサヴァリ(Savary)派すなわち左翼革新クラブ連合(UCRG / Union des Clubs pour le Renouveau de la Gauche)とともにいち早く新社会党の設立大会を開催、これを基盤にFGDS加盟のポプラン(Poperen)派(社会主義クラブ連合(UGCS / Union des Groupes et Clubs Socialistes))も参加する1969年7月のイシー・レ・ムリノー大会における主導権を握ろうとした。この間、6月の大統領選挙でSFIO候補ガストン・ドフェールはわずか5%しか得票することができないまま大敗した。その直後のイシー・レ・ムリノー大会はサヴァリを第一書記(党首)に選出するとともに書記長ギー・モレの退陣を決定、これによりSFIO・UCRG・UGCSは新たな社会党(PS)へと統合・移行した。残るミッテラン派(CIR)との合同は新党成立後の1971年6月のエピネ大会まで持ち越されることになった(以降は社会党 (フランス)を参照のこと)。
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