新社会党結成後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:46 UTC 版)
結党時、新社会党は衆議院議員2人と参議院議員3人で構成され、政治資金規正法の政党要件を満たしていた。しかし、労農派の影響を受けた「労働者階級の党」という自己規定は国民からの幅広い支持を受けにくい状況を創出し、党勢は低迷した。社会党時代の有力な支持基盤だった総評系労働組合の大半が支援を打ち切り、民主党や社民党支持に回った事も響いた。 矢田部自身も1998年の第18回参議院議員通常選挙では同党の比例区から立候補して落選し、新社会党は国会での議席を全て失った。続く2001年の第19回参議院議員通常選挙でも比例区で立候補し、落選した。2002年、矢田部は小森に委員長職を譲った。 1990年代以降、日本の左派政党が低迷する中、左派・護憲派・市民派を中心的な支持層とする新社会党が、小選挙区制を基本とする現在の国会で議席を回復するのはかなり困難な状況である。矢田部自身、4期24年の議員経験を持ち、党委員長として知名度もあった2度の参議院選挙でも敗れ、いまだ国政での議席復活はなされていない。
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