新石器時代土器の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
「中国の陶磁器」の記事における「新石器時代土器の概要」の解説
中国における新石器時代の土器の存在が確認されたのは、20世紀になってからである。1921年、スウェーデンの地質学者J.G.アンダーソンは、河南省澠池県仰韶村(べんちけん ぎょうしょうそん)で彩文土器を発見した。このことから、新石器時代の彩文土器をかつては「仰韶土器」「アンダーソン土器」と呼んだ。中国の新石器時代は、彩文土器を代表的遺物とする「仰韶文化」と、これに続き、黒陶を代表的遺物とする「龍山文化」に分けられると考えられていた。しかし、その後、特に中華人民共和国成立後の中国各地における発掘調査の進展や研究の進歩により、「仰韶土器」という呼称は実情に合わないものとなっている。彩文土器は中国西部の甘粛省方面からも出土していることから、アンダーソンら欧米の研究者は、中国の彩文土器は西アジアに起源があり、西アジアから甘粛方面を経て黄河中・上流域へ伝播したものと考えた。これに対し、中国の研究者は、中国の土器文化は中国で固有に発生したものであると主張した。放射性炭素による遺物の年代測定の結果などから、中国の土器は中国で独自に発生・進化したものであるとする見解が、今日では一般に認められている。彩文土器も、黄河中・上流域や甘粛地方のみならず、黄河下流域や江南でも出土しており、中国各地で地域特有の土器文化が発生したとみられている。
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