ぎょうしょう‐ぶんか〔ギヤウセウブンクワ〕【仰×韶文化】
仰韶文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 13:34 UTC 版)
仰韶文化(ぎょうしょうぶんか、ヤンシャオぶんか、英: Yangshao culture、漢語ピンイン: Yǎngsháo wénhuà)は、中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化である。仰韶文化の年代は紀元前5000年から紀元前2700年あたりである。この文化の名称は初めて出土した代表的な村である仰韶にちなんで付けられた。仰韶村遺跡はスウェーデン人のユハン・アンデショーンによって1921年に洛陽の澗河上流の河南省黽池県仰韶村(現在の三門峡市澠池県仰韶鎮)で発見された。この文化が主に栄えた地域は、河南省、陝西省および山西省である。
- ^ Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216
- ^ Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216
仰韶文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:49 UTC 版)
仰韶文化(紀元前4800年?~紀元前2500年?)は1921年、河南省澠池県仰韶村で発見された彩陶(赤地に彩色した土器)を特色とする文化。 前期(紀元前4800年ころ)は紅陶が主流で、代表遺跡は陝西省西安市半坡、仰韶半坡類型文化と称されている。母系制で、農村の階層化がみられる。前4000年頃にろくろの使用が見られる仰韶廟底溝類型文化が現れた。 後期(紀元前3500年以降)は、半坡後期類型・西王村類型・大司空類型・秦王塞類型の四種の文化に大別され、この頃には貧富の差がみられ、社会の分業・階層化が進んだ。
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