各地の新石器文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
新石器時代中期以降、黄河中・上流域では老官台文化(陝西省)、仰韶文化(陝西省・河南省)、甘粛地方では馬家窯文化(または甘粛仰韶文化、甘粛省・青海省)、黄河下流域では大汶口文化(山東省・江蘇省)、龍山文化(山東省)、江南地域では河姆渡文化(浙江省)、馬家浜文化(上海市)、良渚文化(浙江省)、四川方面では大渓文化(四川省・湖北省)、長江中流域では屈家嶺文化(湖北省・河南省)などがそれぞれ栄え、彩文土器・黒陶などの特色ある土器を生み出した。 老官台文化(4500年BC頃)に属する遺跡では灰陶が出土している。灰陶が作られたということは、高火度の還元炎焼成が行われていたということであり、窯の存在が想定される。仰韶文化は半坡遺跡(西安郊外)を標識遺跡とする半坡類型(4000年BC頃)と廟底溝遺跡(河南省)を標識遺跡とする廟底溝類型(3300年BC頃)に分かれる。半坡遺跡は、環濠を伴う集落遺跡で、共同墓地や窯も検出されている。半坡遺跡では彩文土器が出土したが、出土した土器の大半は粗陶で、彩文土器は全体の5%ほどであった。甘粛地方の馬家窯文化は、馬家窯類型(3000年BC頃)、半山類型(2600年BC頃)、馬廠類型(2200年BC頃)に分けられ、彩文土器の出土を特色とする。甘粛地方の土器文化はその後も斉家文化、辛甸文化に引き継がれる。黄河下流域の大汶口文化(4000 - 2300年BC頃)は山東省泰安市の大汶口遺跡を標識遺跡とし、初期には紅陶が中心だが、彩文土器、灰陶、黒陶もある。中期以降は灰陶、黒陶が中心となり、白陶も現れた。続く龍山文化(2400 - 2000年BC頃)は、山東省済南市章丘区の龍山遺跡を標識遺跡とし、ロクロ成形により薄手に仕上げられた黒陶が特色である。馬家浜文化(3600 - 2700年BC頃)は上海市青浦区の崧沢(すうたく)遺跡を標識とすることから崧沢文化ともいい、紅陶、灰陶のほか、ロクロ成形による黒陶もある。良渚文化(2750 - 1890年BC頃)は浙江省杭州市余杭区の良渚遺跡を標識遺跡とし、黒陶で知られる。大渓文化(4000 - 3000年BC頃)は紅陶を主として黒陶、白陶もある。屈家嶺文化(3000 - 2500年BC頃)は器壁が卵の殻のように薄い卵殻黒陶や彩文土器で知られる。 黒陶高脚杯 龍山文化 彩画鳥魚石斧文甕 仰韶文化 彩文土器 仰韶文化半山類型 紅陶杯 興隆窪文化 夏家店文化、新石器時代,紅陶杯 豬, 陶器,興隆窪文化,新石器時代 三腳杯, 陶器, 滿洲文化, 新石器時代 熊, 黑陶, 興隆窪文化, 新石器時代 大三脚杯,陶器、夏家店文化、新石器時代 四耳陶罐夏家店文化, 新石器時代 興隆窪文化,三凹陶臉, 新石器時代早期 仰韶文化, 半坡遺址, 尖底瓶
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